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束の間のドラマウォッチング [映画 ]


『やすらぎの郷』については
それこそ毎週でもつらつらと書く事はございますが
まぁ 此処ではやめておきましょう。
浅丘ルリ子さん 巧いよぉぉお ぐらいに。

○『コード・ブルー』CX

新垣結衣さんと戸田絵梨佳さんがご出演ですので
そら チェックしますけど あたしゃこのシリーズ
駄目なんだ。どーしても 米国製の『ER』と比較してしまうから。
あっちは新人でもアグレッシブで 知ったかぶりして
余計なことまでするヤツラばかりだけど
大丈夫かぁ日本・・・てな思いもするし
にしてもドラマが浅いよ。人間を描こうとしていない。
長谷川伸を読んでしっかり人間を見詰める視線を学んでほしい。
どいつとこいつを描くとこういうシナジー効果があるとかさ
こういう病とこんな傷口が構成されると意外な
光景が人間の心の奥に見えてくるとかさ 
美学校で高橋洋先生か西山洋一先生におせーてもらいなさい!
いきなり『ER』レベル求めやしません。
米国と日本じゃ生きていく厳しさが土台からして違うのだ。
どれほど我が国は未だ恵まれているかを感じ知るために
このドラマを観るのもよいけれど。
ガッキーと毎週会えるから。tVerでも『雪肌精』とノアのCM観られるし。

○『わにとかげぎす』TBS

『カルテット』でクドカンさんのフラダンスを絶妙なカメラ位置で
ショットし ぬかりなくアングルで語る術をお持ちの
坪田監督だったので 観ました。なるほど 相変わらずアクション繋ぎも
温故知新的というか古典的ハリウッドスタイル
特筆すべきは本田翼さんの良さを引出している。
綺麗綺麗に撮るのではなく シルエットを巧く使って
彼女を魅力的に見せている。『安堂ロイド』の時に可哀想な起用をした
罪滅ぼしとして有り余る出来栄え。彼女の出世作又は代表作になるだろう。

○『黒皮の手帳』テレ朝

『女囚さそり』のやり損ないになってしまった『女囚セブン』でも
黒皮の手帳とか言っておりやしたが へぇ こっちがほんまもんどすえ。
とはいえ アタクシ 不遜ではございますが松本清張さんの小説って
どれも面白いと思ったことないんどす。って京都弁みたいになるのは
『女囚セブン』の剛力彩芽さんが舞妓はん役だったんどす。
戻します。こちらの主演は国民的美少女の武井咲さんです。
相変わらず笑顔は 吉永小百合さんとよく似ています。
そしてネット上では彼女の演技の評判が悪い。
アタクシは 全く上出来だと思います。ただ初回でいきなり
銀座に店持つまで一気だったから 観る方の目がついていけない
つまり動体視力の芳しくない方々には 武井咲さんの芝居の 
微妙な陰影を感覚できなかったかもしれない。
はっきり言えることは 念書を奪いに行く時に 
あの装いをさせたディレクターの感性の無さの方を
嘆くべきかとアタクシは思う。
鎧としてのハッタリボディコンは 笑うぞなもし。
まぁフランス製のスーツあたりが穏当だろうね。
チェックし続ける可能性は 低いかな。
武井さんがテレ朝で天気予報士をしながら事件を解決する
ドラマがありましたが あれは 彼女にフィットしていて
無表情を通す芝居に 寧ろ いぢらしさすら覚ゆるほど。


 やっぱ 一スジ 二ヌケ 三 ドウサだな と思う。
 一番大切なのはシナリオ 二番目は 撮影手法
 三番目に 芝居 仕草 アクション。
 日本映画の父と謳われたマキノ省三監督の有名な
 映画についての 箴言でごわす。おいどんもよしごわす。
 って鹿児島弁がどうして口を突くのかは 謎である。
映画にしろドラマにしろ 動く絵 が根本なのです。
オペラとか歌舞伎とかは 寧ろ
音の世界が優先すべきなのです。舞台の芝居もそうです。
もともと 舞台の演劇ってのは 詩の朗読から始めっているし。
やはり三次元的なのであります。映画やドラマは三次元じゃない。
やっぱり 二次元の世界なのですよ。音による立体化感覚。
ゴダールがソンイマージュとして追究したテーマは
気高いわけですよ。 立派だなぁ ゴダールって。
やっぱり物理学的な又は数学的なアプローチになっちゃうんだね。
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なぜ 私が小説家になろうなどと思い込んだかの記 [小説]

余りの暑さにヤケクソでエアコンをつけて
一円になもならない文章を書いているので
そういう自問をし 自答を思いめぐらせる。
ということで
以下 その自答は弁明のようなものである。

その壱
中学二年の三学期。国語担当の荒井先生が
「わたしは この年度を終えると
二十数年に渡って天職と信じてきた
国語教師を辞めて 小樽の実家を継ぐことになりました」
そう授業終わりに語り始めた。
荒井先生が小説家を目指して早稲田大学に入り
奮闘したけれど 結局自分は国語教師になったこと。
それでも自分の教え子の中から 一人 作家になる生徒と
巡り合えたら その時 自分の天職としての
国語教師としての役目は 果たせたといえるのだと
信じてきたこと。 そして 
まさにその生徒と巡り合えたと喜んでいた時
小樽の稼業を長男として継がざるをえない事態となったのは
運命というほかないと 先生はやや紅潮して語り終え
やおら
荒井先生は 私に向かって ありがとう と仰った。
確かに 旺文社の夏休み読書コンクールで奨励賞を
貰ったけれど それは夏休みの宿題だから書いただけで
自分で応募したわけじゃなかった。おそらく荒井先生が
応募してくださったのだろう。

その弐

テレコムジャパンという会社で その参まで続く噺がある。
企画演出部で二年ぐらい経っていた頃
洋酒メーカーのサントリーのハウスエージェンシー
名門と謳われていたサンアドでCМディレクー募集があった。
その頃 私はParcoから映画の企画を個人的に依頼されて
会社の仕事もうわの空状態だった。つきあっていた彼女からは
そろそろ結婚みたいなことをデートの時に言われていたが
なにせ映画監督になるのが私の目標だったから
そちらに私の集中力は使い切っていた。
荒井先生からは小説家といわれていたが 映画監督でいいじゃないか!
そもそも私は小説家になる気なんか全くなかったし
寧ろ漫画家か画家になりたかったのだ。そして 映画監督ぐらい
画家のなりそこないに向いた職業はないのだ!と高校時代に自分なりに
小説家呪縛を取り払っていた。
そう 私は画家になりたかったのだ。本当はね。

 サンアドを受験したのは 企画演出部のYM先輩からバカにされたからだ。
「君は受けても一次の書類選考で落とされる」
そういう冗談には ムラムラと闘志が湧くタイプなのだよアタクシは!
そしてその先輩の鼻をあかしたい一心で受験し 私は最終面接まで残った。
その通知をその先輩の鼻先にちらつかせた時の爽快さは今でも忘れない!
だから 後はどうでもよかったのだ。
そうして パレスホテルにあるサンアド社の面接会場のドアを開けると
壮年の紳士が私の二次試験で描いた つかこうへいが早慶戦で
オールドを飲みながら負け惜しみを語る サントリーオールドの
テレビCMコンテを片手に いきなり
「星野!君はコピーライターで入って小説書いてなさい
 開高健と山口瞳 知ってるか?」
存じております。と応えた。私はその社長が高橋進さんだとかなり
後年になって知ることになるが その節 私は
まず総務部長の品田さんが 仲畑貴志さんをサンアドで育てた
あの品田さんかなぁという質問をしたくてうずうずしていた。
そしてあの碧色地に真紅のステッチが入ったチーフを襟に捲いている
紳士は もしやして トリスの「どーすんだよ」シリーズを
企画した酒井さんではあるまいか そして酒井さんの横に
いらっしゃるのは アートディレクターの副田さんだ。
副田さんは 広告雑誌でよくそのお見受けするから。
すると「社長 星野さん着席できませんよ」
品田部長さんがそう声をかけてくださって ようやく座ったが
面接時間の間 サンアド社長からは 小説家になるべきだ論が
繰り返され退室寸前にやっと 品田部長さんに
「仲畑さんにカレルチャペックの園芸12か月をお渡しになった
品田さんでらっしゃいますか」と質問したら
品田さんは 小さく「ええ そうです」と頷かれた。
酒井さんと トリスの話をしたかったと思ったが サンアドに入社したら
ゆっくり聞けるさと スキップして家路に着いた。
だが結局私は 不合格だった。ショックはなかった。
なんせParcoで映画を創ればいいだけだったからだ。
そして私と企画演出部同期と言ってよいM君がサンアドに合格する。
サンアドに入社したM君から電話がテレコムに入った。
「なんで 星野さんコピーライターで入社するの断ったの
 毎日 社長が 僕の机のところへきてそればっかり話すんだけど」
私はお断りした覚えなど無い!そうM君には正直に応えた。
お断りなど断じてしていない!するわけがない。
そのくだりを当時付き合っていた彼女に話して
私はフラれることになるのだが・・・・。
そしてその参。
彼女の怒りが噴火する直前 私はテレコム通信という社内報の
インタビュー記事を担当することになり
テレコムがテレビマンユニオンコマーシャルという社名時代に
プランナーとして働いていた小説家の矢作俊彦さんに
お話を伺いに 東横線の反町へ大雪の中会社のデンスケを持って
出向いた。聞きしに勝る変人 いや天才肌の方でしたので
テープ起こししたら 社内報の編集長のK氏にこっぴどく叱られた。
おまえはもっと会社の奴隷になれ などという小汚い言葉を
浴びせ掛けられると アタクシ 俄然ファイトが湧く性質でして。
天才肌のハードボイルド作家のかなり面白い噺を
再構成して 終いにはアルチュール・ランボーなんぞを匂わせて
締め括ってやりました。K氏も「やれば できるじゃないか」と苦々しくも
降参の態と言う有り様でした。フフフ。
それでも私はその原稿を矢作先生の承諾を得ぬまま
K氏に承認を受けるような道義に外れたことは致さぬ者でした。
矢作さんからは お電話で「Kが ガミガミ言ったって?
そもそも俺とあいつは仲が最悪だったのに インタビューに
おまえを寄こす料簡が 忌々しいやね 再構成、あれでいいよ」
流石 ハードボイルドだどぉ いや いなせでございます。
教育大付属駒場出身者でございます。
後日 このハードボイルド作家さんから
「大友克洋の漫画 SFなんだが 原作手伝え。
 そうしているうちに出版社の編集者と仲良くなって
 おまえなら三十前後で小説家になれると思う
 但し会社は 暫く勤めておけよ 
 宝官さん(テレコム社長)には俺から話入れておくから
 適当に勤めていればいい。それと 自衛隊を舞台にした
 別の話でも大友とやるけど そっちには軍事武器マニアの男が
 参加する。そいつも一緒だけど
 あの反町の俺の仕事部屋 一部屋開いてるから
 おまえの彼女が厭じゃなければ同棲しても
 いいよ。いずれにせよ家賃はロハでいい」
てな ありがたい噺を受けたが
Parcoの映画が暗礁に乗り上げ 付き合っていた彼女は
いきなり怒りを噴火させ会社に謎の休職届けを提出し
九州の実家へ突然帰ってしまった そんな事態の中で
オロオロしている内に 頭が混乱し 
矢作先生への受け答えもうわの空になる。
今思えば 矢作さんのところに伺って相談すべきだった。
「九州に跳ぶべきでしょうか」と。
そうしたら どういう回答が出てたかなぁ?
そういうことをせずに私は Parcoの映画について
一人で奮闘をしてしまった。ニンテンドーのファミコンゲームとの
コラボ企画に一人奔走したり。
そうしていればフラれた事実を
受け容れられると信じたからだろう。そして
そんな状況をそのまま短篇小説にして文学界新人賞に応募したが
その結果など顧みることすらしなかった。
なぜなら 私は ただ 頭の中が混乱し不眠症になっていて
その自己治療するために推敲すらしないで書いただけだから
さぞかし酷い代物だったはずだったし しかも
私は 銀座の小さな、できたばかりの広告代理店に
出向させられ そこで ブルーレット【おくだけ】 
というネーミングをし 後は広告屋&マーケッターとして生きる日々が
慌ただしく私を待ち受けていたからだ。
そして 映画とも小説とも長いお別れをすることなった。
しかし 長いお別れには 久方ぶりの再会が宿されている。
永遠の別れでは ないはずだ。
最後に 藤沢周平さんが 書いてらした一文をしたためる。

藤沢さんが 小学校の高学年の頃。冬近い庄内の自宅で
留守番をしている時 見知らぬ鳥打が 訪れ
弁当をつかわせてくれと 頼まれた。藤沢さんは
とりあえずお茶の用意をし 囲炉裏端へ座布団を敷いた。
弁当を食べ終え 茶を飲みながら目つきの鋭い鳥打の男は
「あなたは 将来 教師・・・ いや 物書きになる」
いきなりそう述べ 礼を言い猟へ向かうため家を出た。
藤沢少年は 後年 小学校の教師になるが 胸部疾患で
泣く泣く教師を辞し 関東のサナトリウムで長い闘病生活をする。
漸く手術をし 故郷に戻ることもできず 新橋の
業界紙の記者として勤めることになる。教師にはなりそこねた。
業界紙とはいえ 物書きではある。既に三十代だった。
肋骨を数本切り落とすという乱暴な手術で
すっかり病弱な体質となりながら家庭を持ち 
業界紙記者として働く。やがて四十代半ばを過ぎて
藤沢周平さんは 唯一の趣味として毎年短篇小説を一作書くことにした。
おそらく 彼がそうせざるを得なかったのは
鳥打の鋭いまなざしを 記憶から消すことができなかったからだろう。
そして その一文の締めくくりに
「十代の前半あたりに 私のような預言めいた事を言われると
 その呪縛から解かれることは 困難なのだ。しかし
 私は そのお蔭で こうして小説家になれたのも事実なのだ 」

以上 私の弁明陳述は これにて おしまい。
皆様 暑さに負けずに!ファイト! 
闘う君の歌を闘わない奴等は嗤うだろう ファイト と
やすらぎの郷』で ディープな『六羽のカモメ』的な
エピソードで 歌ってましたね。 人間誰しも 闘っているんだ。
ファイト! 闘わずに嗤っている奴なんて逆に存在しないというのが
あの歌の凄味だと 私は思うのだけれど ね。

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ソール・ライター展とBabel展について [美術]

書くのを忘れていた。
書けるうちに書いておこうっと。

先月 『ほぼ日』で紹介されていたので観てまいりました。

○ Babel展

まず展示の仕方が巧い。 お目当てのブリューゲルの『バベルの塔』へ
向かう通路に巨大なカラーコピーで否応なく本作との対面を
盛り上げるとか 映像展示で『バベルの塔』の中に入り込む
コンピューターグラフィックスが とても良くできていて
ブリューゲルが生きていて目にしたらさぞかし驚喜したろうと
思ってしまいました。

この絵画を私は学生時代の『Suggestion』という映画で
タルコフスキーとゴダールの真似をして引用しました。
実物を観る事はなかなか困難でしたし 今回は残念ながら
同時展示はできなかったけれど もう一枚 神の怒りを買う
寸前、塔が完成して異様を誇るブリューゲル作品があるのですが
それをオーバーラップさせたりしました。
タルコフスキーは 『ソラリス』と『鏡』に
ブリューゲルの『雪中の光景』を何度も引用していました。
その影響でなけなしのカネを遣って買い求めた
ブリューゲルの画集は未だ手元にあります。
そして 私は その画集から上記の二枚を選択したのでありました。

 そのお目当てに辿り着くまでに
15世紀のネーデルランドやフランドルの画家の絵画が
たくさん紹介されていました。
イエスキリストの真正面からのリアルな肖像画などという
当時未だ教会の圧力が強い時代ですから イエスの肖像、
しかも真正面からなんて ほぼ在り得ないはずなのです。
しかも どうみても その面立ちはモンゴロイド
つまり我々東アジア人にしかみえない。
毛髪は黒く艶やかで 口の両端にたくわえた細長い髭。
目は奥二重で やや眠たげな目つき。着用しているのは
どうみても中国的なデザインだし 首回りを飾る
宝石も ナザレのイエスを描写したとは思えないほど
金満家の如し。 でも イエスなんですよ。
更に マナの壺を捜索する画家 という作者名のある
『祭壇』という小さな絵画の前で私の足は止まってしまった。
マナの壺ですよ!どうやら当時のフランドルには
ユダヤ人の画家たちが 実名を明かさず絵画を世に出していたらしい。
そして そのユダヤ人画家は おそらく
イスラム統治下にあったイベリア半島から逃れて
ネーデルランドやフランドルに移住してきたユダヤ人でしょうが
しかし 祭壇に捧げられているのは
麦ではなく 米 稲穂なのです。 
伊勢神宮にある三種の神器にマナの壺と思わしき存在がある。
それを明治初頭に発見した欧州の学者が
やっぱり 日本人は 古代イスラエル十部族の可能性あり…。と
伝えたとか。日本人は幼児の頃 ごはんを まんま というでしょ。
という想定外の驚愕に不意打ちを喰いながら
『バベルの塔』の実物を目の前にする。
感想→ ゲッ こんなに小さな絵だったのぉおおお!であります。
画集にもサイズ表示あったし 大きな絵ではないという解説を
読んで記憶もしていたけれど 愕然とするほど小さかった。
フェルメールの実物をヨーロッパで観たときも 
ここまで ちっこい絵だとは・・・・思わなかったし その美術館に
辿り着くまでの飛行機代とか列車代とか思うと 半分泣いて
半分笑ったけど まぁ 混雑した日本のフェルメール展で
見えるよりか ましか と気を取り直した記憶が蘇っていた。
まぁ今般は 上野までの電車賃だけだし 混雑してなかったし
画布素材や絵具の乗せ方 パレットナイフの抜き方まで
おぉう ガンミじゃん!って もう 画家になんかなれないし。
どうでもいいんですけどね。
しかし とんでもない細い筆で丁寧にタッチしている個所ばっかり。
パラノイアじゃないとできないですね。こういう仕事は。
水玉ばかり描いている女流画家さんがいますけど
『バベルの塔』でも虫眼鏡でよく見やがれ!と言いたくなっちゃう。
で その後 ほぼ日のヒグチユウコ展に行こうと思ったのですが
まぁ 明日にしよッ と帰宅してしまったので そちらは
結局観賞しませんでした。上野に行くとどうしてもアメ横で
胡桃を買って帰りたくなるので。

○ ソール・ライター展

こちらも『ほぼ日』での紹介記事を読んで。
ヴィヴィアン・マイヤーという無名のまま老いさらばえて
死に絶えて 撮りまくった写真を危うく全て焼却処分される
寸前だったのを 奇蹟のように救われて 
今や世界中で賞賛される米国の女性写真家がいらっしゃるけど
この男性の写真家も 若い時はモード雑誌の専属カメラマンとして
相棒のグラフィックデザイナーにも恵まれ 活躍していた
マイヤ―女史よりは れっきとしたプロフェッショナル。
但し 広告写真家として生きることを優先させ
安藤広重や葛飾北斎にインスパイヤされて
大胆な構図で 撮った写真を 公にしなかった。
マイヤーは自分で現像して焼き付けをする作業を
業者に任せていたので 彼女をプロと見做す事を拒む人も居る。
だが 待ってほしい。 ライターの作品をじっくり眺めると
この写真家が レンズを通して 鏡や反射しうる何物かに
映り込んだ像、ショットを描くために構図を選んでいるゆえに
ネガを自分でじっくり作る現像技術と印画紙への定着を
計算し焼き付ける技術は 
寧ろ彼の文体を成立させるためには そして文体は内容が決めるのだから
絶対に必要だったのだ。 ヴィヴィアンの撮影内容、テーマには
そのソールと同じ文体が必要じゃなかったでけなのだと 私は思う。
彼の雪や雨 更には結露した水滴に対する感受性の高さに
驚く事は 誰の目にも明らかだろう。
偶然を装った演出だってちゃんとしている。
とはいえ ヴィヴィアン同様街をうろつく時は
ソールも首からカメラをかけていた。しかも ライカの名機をね。
その証明というか 彼が偶然街で遭遇した事故現場の一枚があった。
報道写真としては失格かもしれないが
やじうまの肩越しを巧みに活かして 左上部のほんの片隅に
事故に遭って白目を剥く被害者の痛ましい表情が写されている。
わざと手ブレなんかさせていない。しっかりカメラの底部を片手で固定し
シャッターを押す指には ライカを揺さぶる如何なる衝動にも
適応する準備ができているような構え方をしていなければ
あんなショットは撮れないと私は思う。

無視されるという特権。
 彼は後日 最晩年80過ぎて再発見され インタビューで
そう 主張した。負け惜しみといえば負け惜しみだ。
だが 無視され続けたお蔭で 彼は徹底的に
孤立しえたのだ。ピアニストのグレン・グールドが唱えたのと同じ
あの「孤立」のことである。漱石が家族を抱えて居なかったら
その「孤立」を求めると書き残しているぐらいだから
芸術家のなかには そういう気分があるものなのだ。
ヴォネガット場合は「孤立」したいなんて思っていなかったが
家族が多すぎて「孤立」せざるをえなかった。
それが この小説家を類稀なるstorytellerに育てたのではある。
なぜって 余りにも小説家として淋しかったので
面白く語る術を必要以上に磨き上げてしまったのだ。
俺が死んでから こんなに面白い物語を書いてたんだ!という
人々の驚き具合を 
あの世に逝ってから見物してもいいものに違いない!
その気持ちは 私もよくよく解かる。
だから煙草をやめないのだ。

話が相変わらず横滑りをしたが

ソール・ライターが無視される特権のお蔭で得をしたのは
アラーキーかもしれない。
ソール・ライターが 絵画の素材にするために撮影した
恋人やテレフォンガールを撮影したヌード群のコーナーがあったが
あの荒木経惟さんのような 猥雑だからこそ愛おしさが極まる
そんな瞬間を抜群のアングルで撮っている。
どれも 素敵な猥雑の極北。つまり 孤立している。
プレイボーイ誌やポルノ雑誌ではお目にかかれない。
目の前の女性達に欲情することの美しさと正しさ を写し取り
尚且つ 彼はそれにドローィングをほどこし
絵画に仕上げ 自分にとってのヴィーナスへと崇め奉る。
まるでアラーキーじゃないか!
だけれど ソールは発表しなかったんだ。
60年代に彼がこれらの作品を発表していたら
我々は アラーキーを 別の荒木経惟として遭っていただろう。
So it goes そういものだ。
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我々は マインドゲームスをしにきている [自分への手紙]

ジョン・レノンの1973年に発表した『Mind Games』は
ビートルズの末期に創られ、『Imagine 』の後に発表されている。
つまり 前者が突端で後者が発展型ということになる。
こんな歌詞が 『Mind Games』にある。

Yeah we're playing those mind games forever
Projecting our images in space and in time

我々は 想念ゲームを永遠に愉しんでいる
我々のイメージするところを 時空に投影し続けているだけさ

以前にも書いた通り 我々人類の宇宙における存在理由は
造化の妙放出器官である。但し殆どの人々は
95%の脳細胞を共通無意識に拠って造化の妙放出器官として遣い
天才・アインシュタインでさえ 10%程度しか自己の意志で
脳細胞を活用していない。

ジョンは だからこそ 戦争や不寛容に喘ぐ世界でなく
愛と平和に満ちた世界が 実現可能なのは
我々が 怒りや憎しみという感情から解放され
想念ゲームを我々が本当に望む世界に意志的に夢中になることを
命がけで呼びかけ続けたのだと 私は思う。

『日月神示』がたえずくりかえす 人と神が融け合う
神人となるのが 神の道 神道である は
まさに 想念ゲームの正しい そして厳粛な道筋を
御魂磨きを最優先させているのだと思う。
なぜなら 私利私欲だけに 我々人類の持つ本来のSPECを
遣い放題にしたら どうなるか お分かりでしょう?

同党一栄ではなく、 
滅私奉公 上意下達 を『日月神示』の神様は忌むのである。
我を出すなと厳しく戒めつつ
我欲を浄化するのであって 我を殺してはならん とも。
滅私奉公上意下達なんざ 我善しの権化が美辞麗句で粉飾した
「組織の為に」という奴である。
そう TBSドラマ『小さな巨人』の決まり文句で
この国は『組織の為己を殺して』という教条主義によって
国家機能が動脈硬化しているのだという指摘に
まさに集約されてしまう。
にしても『小さな巨人』は 顔芝居が歌舞伎だし
まぁ話が 勧善懲悪物だから
それはよしとして 香川照之さん脳の血管キレないかぁ 
と心配だった。
結末も 釈然とはしないが めでたしめでたし。

そして初回とラスト三回だけ観た『リバース』は
原作にないラストになっていたそうだが なるほど
あの原作者の書かれる作品に真面な感情教育は無いものね。
それでかぁ。。。ドラマは立派な感情教育を描いていた。
ついでに
『あなたのことはそれほど』は結局初回だけ観ただけで
ラストもネットでネタバレを観ただけだが
成程ね。最後の最後に冬彦モノから大逆転したってわけか。
流石 ドラマのTBS!ですなぁ。火曜10時のTBSドラマは
スタッフ陣が ちょっと群を抜いている。
日本の民放局で唯一オープンセットも組めるスタジオ
持っているのは TBSだけだものね。
そして日本に現存する映画会社を含めても・・・。

逸脱したように テレビドラマのことをザッと書いてみましたが
つまり 人々は 想念ゲームをもう少し正しく
そして 我善しに傾きすぎないように気を付けながら愉しむために
映画やテレビドラマが そして自前の想像力を鍛えるには
小説で自分の脳内にイメージを育む訓練をすることが
どれほど 大切な時代になっているかということに
この拙い文章は結論付けられるのでございます。

私は ゲーム会社が バックミンスター・フラー博士が
主導した 【ワールドゲーム】をネット上で設営しないものかと
思うのであります。とても知能を遣うし知性も必要だ。
更に 我慢というか 自制を促すというか。
冷静な知性をワクワクしながら鍛える
それこそ Mind Games をするために
我々は生まれて来たのだという事を実感できるようになるために。

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まがたま の き なり [雑感]

日本文芸社から出版されている
文庫本版『日月神示~一 二 三(ひふみ)』は
大変便利である。が しかし 校訂者の奥山斎氏は
『﹅』を 『・』で表記されている。
しかし 『﹅』 は 勾玉。 ・ では意味が変わる。
出雲の神様だから。
出雲とえいば 勾玉ですから 私は 違うと思う。
岡本天明さんは 自働筆記であるから
彼がヴィジョンを霊眼以て あの日月神示の文字群を観て
書きうつしているわけではない。
腕が神によって動き書いているのである。
天明さんが遺した生原稿?で ・ に見えるのは
余りに凄いスピードで勝手に手が動くから
きちんと筆の入りぬきができないことがあるからでしょう。

ヴィジョンで神は伝えない。
ダニエル書とか 曖昧だし偽書だし。

岡本天明さんは あの神かかりとなる前に
太マニ研究をされていたので あの古代文字まじりの
筆記者として選ばれたのだ と私は思う。
ちなみに 
 アタクシは マニ教の方が前世ですが
 シュタイナーによるマニ教ってのが トホホ 善悪共に抱き参らせる方々なのだそうで。
 腸内細菌ってのは絶対悪玉菌を死滅させない。なぜなら消化の後に必要な
 排泄のための腐敗化をある程度させなければならないから。
 人間の体が 排泄しないでもよいほどに消化吸収器官が進化すれば 又 別になるでしょう。
 ともかく その腸内細菌から学ぶことを如何に人間社会に応用するかです。
 
 悪共に抱き参らせるとは 悪の為す理路とエネルギーを善に置き換える哲学や
 感情論を確立していくことかもしれない。
 しかし日月神示では そんな学や智ではならぬ
 と 再三注意が明示されている。
 だからといって寛容だけで 済むのかしら?
 勾玉のキ とは 喜び歓喜だと暗示され続けるが 
 一挙に平面的に理路しても
 なかなか 道筋とはならない。想念の立体化が必要になる。 
 こうなると SPECHolderじゃないと無理じゃん。と投げ出したくなる。

 昭和27年の4月11日の秋の巻冒頭に
これから30年で建て替え立て直し成ると宣言されていた。
しかしその10年後の某日 「他に型をだしておいた」
と天明さんに 日月の神は言葉で知らされた。
そしてその翌年 岡本天明さんは お亡くなりになる。

昭和57年 建て替え立て直しは あったのだろうか?
カネで治めてカネで潰す バブルとその崩壊はあったが
人々は 改心などしなかった。その再来を 3.11の後
又我々は 体験しているが ・・・ 泥海しかないのかね?
未だに人々は 古事記や日本書紀を神道の基だと思っている。
この誤解すら 綺麗に解明されていないのに
改心は 遅れるばかりだろう。

 日本会議なる者達の国家神道復興など
岩閉めの最たるものだと 彼らは露ほどに知らないのだから おぞましい。
王政復古の輩が 神社内に神仏習合で存在していた
仏像を撤去しただけなら まぁ 日月神示の神様の岩戸閉 仏魔云々に
従がっているようにも見えるが 撤去した後の破壊行為は
仏祀れ キリスト祀れ マホメット祀れ と宣言する日月神示の神様にすれば
やはり 愚行であり 魔物憑きの行動でしかない。
更に 彼らは たとえば 荒川区に 熊野前という街があるが
そこは 幕末まで 熊野神社が存在して 栄えた街だった。
しかし維新後 王政復古の魔物憑きどもが 徹底的破壊している。
タリバンと同じ精神構造と指摘されても致し方ない。
岡山のサムハラ神社も その憂き目にあっている。
大阪 立売堀のサムハラ神社は 岡山のサムハラ神社の縁者が
後年 こっそり建立されて 今や凄い人気だ。

つまり王政復古だの国家神道だのの輩が 神道を語るのは
騙りだということである。 遂に 今の総理大臣は 今上陛下に
神主さんをおやりになってくださっていれば充分 みたいな
ことをぬけぬけと 言いだしている始末。そう耳打ちしたのが
上智大の渡部昇一だったそうだが なんでドイツカトリックの
回し者が 日本会議だかの 首謀格であるのに
伊勢白山道あたりの人々は 批難せず 支持するのか 
私には 謎だ。

荒川区の熊野神社は 勿論 素戔嗚尊様を祀られていた神社であり
今 皇居となっている 旧・江戸城内にあった
同じく 素戔嗚尊様をお祀りする熊野神社も 
王政復古魔物憑きどもによって 放り出され
旧幕府徳川家によって南青山に移されて 現在に至っている。
南青山の熊野神社から歩いて10分の千駄ヶ谷駅近くに
富士塚が未だ残っているのでも有名な鳩の森八幡神社がある。
岡本天明さんが 仮宮司を務めていたお社だ。
日月神示の中で富士に祀れという時 しばしば この富士塚を
型を出す為に遣われていたのでは?と 
私は 思うのだが 定かではない。
門前仲町の富岡八幡にある富士塚跡に上ったことは
子供の頃近隣に住んでいたので何度かあるが
鳩の森八幡の 富士塚は溶岩石で盛り上げられていて
気を付けないと滑落するので ハイヒールなどで 上がらないこと!

その頂上には 奥山 という小さな宮が 未だ在る。
奥山斎というペンネームの由来であることは確かだ。

昨日 
そういえば 元旦以来 麻賀多神社様と天之日津久神社様に
伺っていないなぁと 思いつくまま 
私の今住む場所から 電車に乗れば一直線で
公津の杜駅まで行けるけれどなぁ~ 
驚く事に 気が付くと 昼頃 着いた。
駅前のヨーカ堂の地下のフードコートでインドカレー屋の野菜カレーを
ライスで頂戴したのは 戒律の無い宗教だと仰せだが
四足喰うのは共食いぞ!と 日月神示で何度も繰り返されるからね。
しもうた サグチキン(ほうれん草カレーとチキン)を見落としていた。

 公津の杜駅から 麻賀多神社まで 片道徒歩45分である。
但し 国道464号線は 大型トラックビュンビュン
途中 歩行帯が極端に狭いところがあるし
信号が少ないので 普通の乗用車も 制限速度オーバー。
バスは通勤時間帯しかない。タクシーで1270円。
但しそれは駅前から乗っての御代。参拝中待ってもらっても
携帯電話でタクシー会社に電話して迎車しても
往復3000円オーバーしてしまう。
兎に角 国道464号線沿いなので 宗悟堂あたりで道が交差する以外
ほぼ 間違えようの無い道のりである。歩くにしろ自動車で行くにしろ。

歩こう歩こう 歩くの大好き♪ と トトロの歌を歌って歩くが
途中何度も 「コノバカヤロー」と叫ぶ。猛スピードだす
大莫迦千葉ナンバー乗用車が 多い。高速道路と間違えている!
案外 砂利トラックの運転手の方が 節度がある。
そして 辿り着いて 驚いた。
麻賀多神社様は 建て替え中でした。
未だ基礎工事の基礎。 工事関係者以外 参拝者は
私だけ。 こうなりゃ ひふみも声出して唱えられるし
天津日継之皇命様 てんし様弥栄益しませ だって唱えられた。
そして 頭上では 良い声で鶯が ホーホケキョ を繰り返す。
天上に引き上げられるような錯覚をするほど ホーホケキョが
大きく木霊する。汗がスーッとひくほど心地よかった。
往路では その鳴声にすら気づかなかったが
復路では その美声が木霊する 林道に近い国道を
愉しんで歩けたのは ありがたかった。
しかも 夕方 我が家近くの坂の上からは
冠雪を溶かせて 夏のいでたちした 大きなる富士山が
でっけーかな 絶景かな 富士は晴れたり 日本晴れ
と 見栄をきりたくなるほど お見事なり♪


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やすらぐことなどないじゃないか [映画 ]

えぇ テレ朝の『やすらぎの郷』のことです。
八千草薫さんが 凄いッたらありゃあしない!
浅丘さんも加賀さんも ねぇ~ なのだった。
石坂浩二主演というのは 最高の強味だわ このドラマ
しかも未だ一か月だってのに ドラマが次から次へと
巡る巡る季節の中で の方が主題歌としてよかったかもしれないと
思う事すらある。中島みゆきさんも北海道だけど松山千春さんは
もっと富良野に近いとこの人だし  
ねぇ~。

この企画を蹴ったという噂がある凋落傾向の
お台場のテレビ局さんは もう どうしょうもない。

 テレ朝は『女囚セブン』という深夜ドラマもやっている。
演出は私の嫌いな『SPEC』の監督のエピゴーネンが
やっているから TBSの『小さな巨人』の演出陣よりも
ランクが低い。包みのくだらない異化作用なんざ邪魔だ。
『女囚セブン』は剛力彩愛さんが芸者で
高島政伸演じる悪い代議士の社会的な悪行を暴こうとした
親友の芸妓殺害の濡れ衣で・・・ってその京都の置屋の
女将を演じるのが 女囚さそり で活躍した
梶芽衣子さんなわけで。それが面白い。シナリオ単純。
剛力さんが白塗りで芸妓として和服で踊る姿を観ると
ボタニティーアート(植物や虫を写真のように描くこと)出身なのに
喜多川歌麿は なぜ こんな風に女性を描いたのかしらという疑問が
いきなり溶解するのである。 そうか 江戸時代の美人って
彼女みたいな顔だったのだね。なるへそ。
ところで
歌麿や山東京伝を弾圧した 松平定信って人は
ボタニティアートの絵師を家臣にしていた。
星野文良である。その作品と落款は残っている。
この人が 後に 歌麿になるという小説を
まぁ 読みたい人は そんなにいないかな。
じゃあ 書くの止めよう。ちなみに 写楽は
なんのことはない 山東京伝のことですから。
法政大学の総長 田中優子先生の説、
一発御名答なのですが まぁ長くなるのでやめましょう。

 糸井さんの『ほぼ日』には あの『JIN』や『私を離さないで』の
シナリオを書いた森下佳子さんが ドラマ大好きコンテンツ
掲載してるのであります。 対談で。
私のブログのような否定 腹黒 批判 無し
まるで 淀川長治や山田宏一が映画に対して向けた
絶対的な愛情を 彼ら『ほぼ日』のドラマチェック班は
致すのである。 火10の『カルテット』後のドラマは
原作の漫画家さん自体が 
「登場人物に一切感情移入せずに描いている」
のだそうだ。 森下さんは それを 実験的と評価し
ドラマも それに即してちゃんと創られている・・・のだそうだ。
私なんぞは 頭が固いから 
作者が感情移入しねーんじゃ 
感情教育の役目を果たさないじゃないか!と怒髪天を突く。
ところが そんな 否定を東大で蓮實ゼミを受講していたはずの
森下さんですら 口にされない。 
これは立派な事ですよ。テレビドラマを徹底的に愛すことの方が
表層批評をするよりも『ほぼ日』においては 優先するのです。
といって表層批評を提言された蓮實重彦先生は ヨドチョウさんぐらい
映画を徹底的に愛し 観まくり男くんですから 誤解のないように。

 TBSの『小さな巨人』は オロナミンCの開発秘話ドラマ・・・
ではありませんでした。 
『MOZU』で 異常な芝居をしてみせた
長谷川初巳さんが 岡田将生さんと 口を歪めあって
精神的ホモ刑事世界を 生真面目にドラマにしている。
これは 意外に面白い。日曜劇場は 勧善懲悪に固定した
TBSの勝利ですよ。 筋はどうってことないけど。
キムタク医者ドラマのチームよりこの演出チームの方が
『逃げ恥』『カルテット』チームに近い。
『半沢直樹』で鍛えられたチームらしいが 顔のアップは
あと 15パーセント サイズ引いた方がいいと思う。
半沢より 真正面にしないのは 頭がいい。
真正面ショットなんて ほぼ在り得ない。
NHKの故・バカベンしかやらないの あーゆーことは。
おぉぉ オイラのドラマ評は 悪意に満ちているなぁ
これを読んで気分が悪くなった方は 『ほぼ日』に
飛んで ドラマをヨドチョウさんのように愛してやまない
人々の 好意に満ちた 世界で毒消しなさいませ。

※ でも 観てないのでなんなのだが
  森下佳子さん NHKの大河で
なんで 井伊直虎なんぞ引き受けちゃったかねぇ・・・
あのね 上杉謙信が女だったといのは かなり可能性高い。
そっちを やるべきですよ。井伊直虎が 武田の赤揃えを
別段継いだわけでもない リリーフ的登場で 謙信が
女性だったから まぁ 許された処置だったわけですから。
八千草薫さんの『ねぇ~』で この文章を締めます。
ねぇ~
★ 上記 俳優さんの名前表記に過ちが在ると思いますが
   訂正しておりません。 ごめんねジローです。
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金曜放送分も土曜には動画アップしてね テレ朝さん [小説と映画]

いえなに 『やすらぎの郷』のことであります。
tVerへの動画アップが金曜日放映分が 月曜になるので。
実に 遮断感が半端無いので トホホホ。
こんなとこで注文つけても 意味無いのは承知なのですが。

 しかし
八千草薫さんの おでこ って 国宝クラスですね。
倉本聡さんは 彼女の「ねぇ~」の凄さを熱弁されていましたが
その八千草さんの「ねぇ~」炸裂の 素敵な喜劇が繰り広げられています。
加賀さんや浅丘さんが絡んでの 誰一人悪人と悪意の無い
寧ろ善意が空回りし 捩じれることによって引き起こされる
喜劇ってのは 観ていて やはり 気持ちいいですしね。
復讐劇のシンドイドラマは 若気の至りの世代向けなので
観ないことにしています。どうせ暇潰しなのだから
『やすらぎの郷』で ホッコリした方が いいですものね。
復讐劇のドラマってのは『リバース』ってやつです。
私が観ない方がいい映画と嘗てこのブログで書いた映画の
原作者の小説が原作です。半分観て 消しました。
ついでに 申し上げれば 火曜日夜10時のTBSドラマも
私なぞはターゲット外だと思いますので おそらく 観続けることは
無いと思います。監督が金子さんだってので初回は拝見しましたが
いやぁ 仕方ないっすよね。こんな話だし こんなもんでしかない。
冬彦さんになる東出青年の運命やいかに・・・って興味ないし。

ということで 『やすらぎの郷』が 妙にテレビに貢献したというより
日本映画史に関わる噂のようなことが 更に倉本さんの
想像力によってとんでもない噺へと変容する様は
決して 悪くない。 いや不遜な言い方ですな。
素晴らしいと 申し上げましょう。
テレビドラマ創世記?における小津安二郎と
マキノ雅弘に関する 伝説なんてのも 倉本先生が
書いてくださると もっと 痛快なんですけどね。

しかし 『リヴァース・ショット』という小説を書いた者として
復讐劇に『リバース』という題名が付けれらていると知ると
ちょっとむかつきます。 どうでもいいことですけれど。
ちなみに 私の『リヴァース・ショット』は 
復讐じゃございやせん。小津の切り返しショットのことです。

だいたい赤穂浪士だって討ち入り場面なんぞどうでもいい。
それよりも 内蔵助と内匠頭の葛藤を描いた小説を書きたいくらい。
内匠頭は吉良との付き合いは 二度目でした。
家督を継いだばかりのもっと若い時は 国家老の
大石頼母が江戸に出張って恙なく吉良の賄賂要求に従い
何も問題なかった。頼母の甥である内蔵助が あの節
どうして江戸に出張って滞りなく事に対処できなかったのか
面白いドラマはそっちにあると 私は思うのであります。
また 内匠頭が 江戸城中で刀を抜けばお家獲り潰しに
なることぐらい知らないわけもなく 幾らカッと来たからといって
脇差とはいえ刀の鞘をはらってしまったのだ。
武士(もののふ)の心得で
脇差なら喉か胸の急所を一気に刺すのが当然。
よりによって頭なんぞ狙うのは 龍馬を暗殺した
薩摩藩の示現流じゃなきゃやらないし それだって
飛びついて頭かちわる勢いの太刀筋じゃなきゃ致命傷にならない。

内匠頭は 武芸の鍛錬を嫌っていた。という事実もあるらしい。
内蔵助は それを危惧していた。武芸鍛錬によって上記
仕儀を上首尾にせよ というのではない。
武芸鍛錬によって 臍下丹田に力を込める訓練を日常に
積み重ねていないと いざという時に肚が座らない。
堪えるべき時に 心身喪失し 
キレたりしないために 藩主の義務として
内蔵助は 勧めていたはずなのだ。

 私が もう一つ 温めていた赤穂浪士物語は
四十七士が 切腹せず 一度 髪をおろし 得度出家し
全員 他藩に再就職を果たすというものである。
無論 そんな事実史実は無い。 しかし 其処から始まる
大石主税の別の名前の人生を書いてみたいと言う小説。
ある意味でのパラレルワールドを。
さてさて これも温めただけで終わるかな?
半島は爆発寸前だし 日本の火の御山様方々は
海の火の御山様まで 瞋恚を放出されるが如く。
さらに 共謀罪・・・治安維持法より性質が悪い。
これに徴兵制度と不敬罪が立法されると
あれよあれよと我が国は 戦前の世界に戻る。
今の内閣が それを目的にしているのは明らか。

しかし 今上陛下様は サッサと生前退位を御表明あそばした。
その御心を表明あそばした中に 何度も象徴天皇として
という言葉が繰り返され 
二度と現人神に祀り上げられてたまるか!
という大御心と私は お見受けする。

天皇家に見限られた とは 今の内閣は思いもよらないらしい。
その鈍感さだけで 図々しさだけで 国是を弄ぶ方々である。
石破さんとか 嘗ての自民党なら ちゃんと
バランスをとる為の存在として温存するのを
もののふの心得としていたけれど 今や冷遇する始末。

変人総理は 田中派を潰したが
結局 もっと性質の悪い宏池会派を産んだだけだった。
いや 昔の宏池会はもっと理知的だったはず。
日米開戦へと暴走させたニキサンスケの一人
あの 岸信介ですら・・・・。


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Googleよ!もしかして ひょっとして  [雑感]

君が B・フラーの『クリティカル・パス』を継承しているのか?

私は 君が無料で提供している
【デジタルワークショップ】でバッジ収集をしているのだが
この 動画を観ながら クイズのような問題を解き
納得できなければ 動画に付録されている テキスト情報で
好きなだけ復習し 時に飛ばし 時に後戻りする
この 学習スタイルって バックミンスター・フラー博士が
『クリティカルパス』で書いていたことじゃないか?
更に 【働き方改革】なんて動画も 無料で提供しているね。
在宅ワークへの手順なんかを テキパキと。
まぁ テキストなんだから 納得するまで繰り返し見ればいいわけだし
書き出して 検討すればいいことだ。

生きていく上で最大の時間とenergyの無駄遣いは
【通勤・通学時間】であると フラーは明言している。
まぁ なんでも修行と思い込める変人以外
あのラッシュアワーに人生の意味など見出しはしない。
個人的な意味においても大いなるエネルギーのロスでしかない。
多くの不健康は健全にみえる勤勉さに拠るというアイロニー
では すまされないはずなのだ。
が しかし 社会的な意味合いにおいても 
電気やガソリンなど意味の無い あの無駄遣いを
我々は あたりまえのことだとか ともすれば
働く美徳のためだとか 自分勝手な且つ 人類勝手な理屈で 
検めようとしない というのは 大問題なのである。
化石燃料は 人類のために存在してなどいない!
人類の存在を継続させてくれている 地球と言う星の
自転や公転に必要なエンジンオイルのようなものなのだ。
しかも 人類の浅智恵では とても扱いかねる原子力は
人類自滅のための一本道でしかなかった。
それは どっかの国の発狂した独裁者家族にとっての命綱でしかない?

 原子力と化石燃料でおカネ儲けをした人々は 
自分たちだけが生き延びられるように 
懸命に火星行きを考え たえば第二次朝鮮戦争から
始る第三次世界大戦へ雪崩れこませ
戦争で混乱した隙に 地球上の黄金をたっぷり掠め獲って
それを手土産に 火星への出戻りを準備中だそうだ。
ちなみに
HGウェルズの『火星人襲来』という小説は
我々人類の中には 
火星で戦争ばかりしていた存在が
地球に逃げてきて今の世界を創造するのに参加したという事を
暗示しているらしい。
そういえば ギリシャ神話の神々は 
さもありなんという戦争好きがいるいる。
まさに マースは軍神=火星の名前だものね。

Googleよ 君は 火星人の遺伝子を受け継ぐ種族じゃあないよね?

日月神示には 繰り返し 【与える政治】こそが 
弥勒世に向かう人間たちに必要不可欠になると 在る。
現在の数の多数決の理屈で選んだ政治家たちの無駄の多い政治では
弥勒世に向かう生き残りの路つまりcriticalpathなどないのだ と。
フラーは 議会制民主主義はいずれ消滅すると書いていた。
世界政府なる存在は 少数の科学者と発明家のボランティアで成り立ち
殆どの事は コンピューター(今風に言い換えれば 人工知能)と
彼ら世界政府の人々が 対話し解決策を市民に明示するだろう。
実際的な問題は 二足歩行に拘らないロボットたちが 殆どやり遂げる。
だから市民は 考える葦でありさえすれば 生活上の保障は
碌でもない贅沢以外なら 誰にでも 与えられるべきなのだ。

※ 【与える政治】についてのexampleとしてこのブログでは
   【20××年の召集令状】で紹介しています※

そうか アメリカ合衆国で フラーのクリティカルパスは
死滅させられては いなかったのだ・・・。
日月神示には この神示(ふで)外国の人の方が
早くわかることあるぞ というのも散見しますからね。
ハッキリ申し上げて 私は フラー博士に出会ってなかったら
日月神示を読んでも 理解できなかったかもしれない。
深く読もうなどと思い立ちもしなかっただろう。

オマケ 
4月12日のやすらぎの郷感想

『二丁目三番地』『三丁目四番地』の頃の倉本世界に
なってきていますねぇ~ 倉本さんってやっぱり
本当は コメディタッチの方が 本領発揮なんじゃないかな?
正直申し上げて 私は 『北の国から』って退屈だったんだ。
純が東京に出る時に 五郎さんがトラックの運転手に
手渡した新券の五千円札に泥がついているのを
泣けるとか名シーンだとかいうのが ちっとも理解できないのだ。
間抜けな五郎さんでしかないじゃないか 
あの時の純の号泣ってのは あああ 親父はなんて
間抜けなんだという恥ずかしさからか・・・
と訝るほど だった。
実際 子供たちにとって五郎さんは
間抜けで自分勝手な選択をしてくれた父親だと 
あの物語は終始してしまっていた
・・・ような気がしてならないのは 私だけだろうか?

 今は亡き天才・つかこうへいさんが 
『熱海殺人事件』をひっさげて紀伊国屋ホールに進出した時
ロビーで倉本さんがジーンズ柄のぽっくりさんのような
サンダル履いて煙草を喫っているのに出くわした。
一緒にいた 浅田君と 「ゲッ!北島三郎じゃん!」と
二人同時に声を上げた。
倉本さんは話していらした方に
そのサンダルを寺山修司さんに薦められたと説明していた。
過日 下北沢でスーツ姿の寺山さんと出くわした時
浅田君と私は 彼の足元を見た。そして叫んだ
「倉本聡と同じサンダルじゃん!」しかもスーツだったから
更にショックは大きかったのを 思い出す
「普段より高い目線で街を歩くと 発見があるんだ」
ばーい テラヤマシュウジ! 

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暫くは やすらぎの郷ウォッチングでしょうね [映画 ]


『逃げ恥』『カルテット』と半年間 TBSのテレビドラマが映画に越境する
その有り様を 堪能させて頂いて それぞれのロスに見舞われるかと
思っていたら 予想外のところから 奇妙な 古い 懐かしい
日向臭い 『やすらぎの郷』という 飽く迄テレビドラマの枠に
しがみ付く世界に 不意打ちを喰らうのであります。
もう この世界には 戻れない。 だが 懐かしいことは
味わいが 在る。 だけど このドラマが映画へと越境する事は無く
古い映画の名残だけが 残滓として目撃されるだけだ。
ボギーことハンフリー・ボガードの愛したカクテルを
カサブランカという名の ちと気恥ずかしい名前のバーで飲むとか
化け猫女優は 入江たか子さんのことだろうけれど
彼女は晩年に化け猫を演じたのでなく 
嘗て華族出身の御姫様だった人が 追い詰められて
仕方なく 化け猫映画で 商売に徹しただけのことは事実。
しかも 名匠溝口健二監督と 傑作『滝の白糸』以来の
仕事で ついつい東京下町育ちの監督らしく
怒りにまかせて発した「なんですか その芝居は 化け猫じゃないか」
というキツイ罵声が 飛び 入江さんがショックで降りる降りないの
事態になって 大騒ぎなんてことを このドラマを観て
思い出すアタクシみたいなのは この世にもうそうはいない。
但し 入江たか子さんが 黒澤明監督の『椿三十郎』で
とても優雅な そして機知に富み、且つ艶やかなお姿で
某藩の家老の奥方を演じているのも アタクシは思い起こすのである。

まぁ それはそれとして。

しかし 浅丘ルリ子さんが 石坂浩二さんの首っ玉に飛びつく姿を
ドラマの枠組みを飛び越して妙に グッと来た方々は多いだろう。
『二丁目三番地』という倉本作品でこの二人は本当に結婚しちゃったもんね。
♪過ぎた日の微笑をみんな君にあげる なんてドラマのテーマソングの
歌詞まで 石坂さんは書いてました。
アタクシタたちガキどもは ♪杉田玄白ごめんね 君に全部翻訳させといて
本を貸しただけの前野良沢 つう 歴史的にも不実な替え歌を
拵えていたものだった。
そして その横で 元恋人の加賀まり子さんが 複雑な笑顔を浮かべている・・・
反則技ですな。 スゲー反則技。いきなりドキュメンタリーだもんな。

 原節子さんを模したと思われる役柄で 八千草薫さんが美しく在られる。
ハッキリ言って 八千草さんがご出演してりゃあ アタクシなんざ
観るの。『小さなおかしの家』というTBSのドラマだって そうだった。
八千草さんがお目当てだった。そのドラマは意外な拾いモノでしたけどね。

この八千草薫さんのお若い時のスチールが映し出されると
この方は 未来からタイムスリップしてしまったのかしら? という
奇妙な感覚に 我々をそわそわさせられる。
時代を超越した美貌の持ち主であり続けている。
それでもって 声が 独特で 可愛い。いわゆる
そこいらにどこにでもある かわいい ではなく
可愛いのである。何処を捜しても早々見つからない可愛さである。

 遠藤周作さんが有牛麦子嬢なる女優に招かれ
「遠藤先生 アタクシ セックスピアーの何を演じたらよろいかしら?」
と訊ねられて 鼻の下を長くしている様子を
安岡章太郎さんと吉行淳之介さんが 其々面白おかしく書いてらした。
その有牛麦子嬢とは 有馬稲子さんですけどね
小津安二郎監督の『東京暮色』と『彼岸花』にご出演でしたが
とても セックスピアーなんぞと仰りそうな感じじゃあ無い。
だけど おそらく この二本の映画にご出演の頃に
遠藤周作さんや大江健三郎さんを 招いて ご相談されてたようですな。
その有馬さんも このドラマで相当何やら仕出かす気配でございます。

しかし倉本聡さんは 映画のシナリオ書くと駄目だったなぁ
どうしてもっとマキノ雅弘監督に食らいついて教えて貰わなかったなぁ
マキノ雅弘監督は 構成も台詞も シナリオライターと助監督を
宿屋に呼びつけ 三日三晩語りっぱなして 書き上げさせる
台詞の細かいとこは あんじょうよろしゆうたのんまっせ
とか何とか言って いざ 撮影現場になると
俳優女優とリハーサルしているうちにドンドン台詞を変える 
助監督は ハラハラする。監督にそれとなく
「つながりますか」と声をかける 「つながるようにしまっさぁ」
と言い放ち 本当にちゃんとつながって しかも
シナリオよりよくなって完成するのが 
マキノ雅弘式映画術。 ま こんな天才は 彼しかいませんが。
でも このマキノ雅弘式映画術の遺伝子は 今
もしかすると 土井・金子・坪井のTBSディレクターズトリオに受け継がれている
可能性があると 私は 睨んでいるのである。
そうだそうだ
「やすらぎの郷」の藤田明二監督も 勿論 ベテラン。
手堅いカット割り。観賞しやすい丁寧なトラベリングやティルトを
お遣いくださりお見事。素晴らしいッ!

 立木義浩センセーの加賀まり子さんの写真集ってのが 
撮る方も撮る方だし撮られる方も撮られる方ですよっ!というほど
素敵なのでありますが もう 国宝になってしまっているらしく
なかなかお目にかかれないのが 残念でございます。

※ なにやら ぐちゃぐちゃな文章を長々しく書いてしまいました
   すいません♪ 春だから 桜咲いているし 御赦しを。
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やすらぎの郷 ~tVerでやっててよかったぁ [映画 ]

倉本聡さんの企画・脚本テレ朝昼帯ドラマ!
石坂浩二さん主演で これから 加賀まり子さんと
浅丘ルリ子さんとも共演されるし 
なんと言っても ほぼ日で なぜか糸井さんが日曜日に
ほぼ番宣をしてらしたので ほほほぉ と思った。

 いきなり 近藤正臣さんと小松政夫さんだもの
石坂さんは相変わらずいい声だし。
煙草喫うシーンだって いいもんですよ。
そして 小料理屋 侘助の二階が
御徒町のとんかつや
蓬莱屋に似ているのも 演出家からして ベテランだねぇ
蓬莱屋の二階ってのが 小津映画っぽくって大好きだった。
まぁ それはそれとして 
確かに このターゲットセグメントは 成功するでしょう。
オンエア時間帯も 良い。今時の若い衆に
この豪華キャスティングの有難味なんて
わからないだろうしね。猫に小判だし 勿体ない。
それでも 中には このドラマが描く 虚ろなる 自分たちも
いつか必ず迎える老境の行く末に対して 覗き見してしまう若い衆も
ドンドン増えてくるのじゃないかしら?
かなり お伽噺設定だから 想定外の視聴者層の広がりも
無きにしも非ず。 公共放送の若い衆おもねりの朝連ドラが
余りにもつまらなさすぎるらしいのだが だいたいテレビを視聴したがらない
層に向けて 今更の若手女優起用にだけ重きを置いて
『逃げ恥』『カルテット』ほどの仕掛け満載の知能指数の高さも無い。
誰がそんなもの観るかね?ターゲットの設定自体できねぇんだ
あの公共放送局のプロデューサーは。
このドラマは 公共放送の最大の脅威になるでしょうね。
倉本さん!してやったりですなぁ 
で 今はキャスティングされていないショーケンもバッチリ
登場させちゃったりして下さると 尚一層 我々昭和30年代世代まで
このドラマから目が離せなくなる。
たとえばですよ
『相棒』の右京さんっぽい気障な美術デザイナー役の水谷豊さんに 
オカマっぽいヘアー&スタイリスト役のショーケンが 
アニィキーぃぃと絡む・・・・・・
なんていう顛倒したシーンなど想像するだに 奮い立つ。

ちなみに 『逃げ恥』のDVDは発売記録を早々に樹立している。
ドラマと映画の垣根が無くなった瞬間である。
後は利益分配の法的整備だけだ。まぁ 米国の『X‐File』を
基準値にするだろうけどね。 つまり スポンサーは
広告媒体を買うだけでなく
売れるドラマの投資も兼ねるという事態も テレビ局は
ビジネス構築できるということでもある。 
人材を大切にすることだ。若いから人材だかどうだか
解らないし 米国でMBA取得しているったって ターゲット設定すら
誤るんじゃ なんだね その資格ってのは・・・。

 このドラマも ひょっとすると
そういうビジネスをすることになるかもしれない。
繰り返し観ることが愉しいような サムシングエロスいや
something elseをどうやって 仕込めるかでしょう。
新しい顧客の創造とは 若年層を狙うことじゃない ってことを
テレビ局は 心せねばならないマーケティング環境を自覚し
質の高め方によって新しい市場を創造する可能性があることに
目覚めるべきだと 私は 思うのであった。


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