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かくして 我々は 物語を消費する [小説]

関係者各位。
以下は 村上春樹さんが 1Q84に関する読売新聞社からのインタビューに 応えた中から
(真に不躾極まる行為と自覚しつつも)私が勝手に抜粋・引用致しました。

オウム事件について村上氏は、「現代社会における『倫理』とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた」とし、
この事件にかかわることは、犯罪の被害者と加害者という「両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった」と語った。
また、「僕らの世代が1960年代後半以降、どのような道をたどってきたか。同時代の精神史を書き残す意図もあった」と述べた。

 こうした社会的な問題意識を背景とする本作は、長い年月、互いに思い続ける30歳の男女を軸にした大胆なストーリー展開で読者を引きつけ、
版元の新潮社によると、購買者は30代以下が過半数を占める。

「作家の役割とは、原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている」
「インターネットで『意見』があふれ返っている時代だからこそ、『物語』は余計に力を持たなくてはならない」などと持論を述べた。

もしも 私が村上さんと大江(み)さんによってフィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』の偉大さを教えてもらっていなかったら 私は 自分が小説なんぞ書いてしまった事を ひたすら後悔し
かつて 画家か映画監督になるつもりの私に小説家になれと激励してくださった方々を
呪わしく思いながら 今日 広告屋に戻り それでも少しづつでも書く生活などありえなかった。
まずは お二人に感謝を。 ありがとうございました。

さて。
人間は 自分の人生だけでは飽き足らず 何故 日日の労働から得る報酬を割いてまでして
架空の人生やらを物語る漫画や小説やドラマに時間を費やすのか・・・
ロールプレイングゲームなんぞやったことがないが 架空の物語の登場人物になりすまし
二次元世界で わざわざ時間に追いまくられながら物語を消費する人々がいる始末だ。
おそらく 我々は折角 食物連鎖の環から逃れたのに セックスが 種の保存に纏わる大事でしかないのをザンネンに思ったからセックスに纏わる物語を紡ぎだしては 年がら年中発情できる人間的特権の謳歌を祝ったのかもしれない。
その莫迦騒ぎに怒った人々が 神を創造し 宗教世界を提示し 我々は制度や社会や思想という
セックス以外の関心事を次々と物語りしはじめた・・・のかもしれませんな。
このいい加減な仮説には 霊的な神示なるお墨付きはございませんよ。
ただ フロイトの幼児期におけるあれやこれやが セックスに纏わるコンプレックスやトラウマとして
死ぬまで人生を支配するというアカデミズムと
いやはや やっぱ 前世の記憶ってのが 潜在意識にあってというもう一方の精神医学ってのが
勃興し やがて 我々は 催眠術を掛けられながら 退行睡眠に陥って
ベラベラと意味不明な物語を 誰しも脳内から 吐き出す 生き物であることが
科学的な証拠として 誰にも突きつけられる準備すら整っているのですね。

そして。
私が日日の糧を得るべくする広告・マーケティングなる仕事は 「欲望の科学」の一種です。
別段 人生にカッコイイ自動車やエコカーなんぞなくたって困りはしないのに
私と仕事仲間は 人々の欲望をそそるように、言葉巧みに囁き そんなアングル
自動車なんぞ眺める人は居ないのに ローアングルでアウトバーンを滑走する映像を
テレビCMを通して 垂れ流す。
この自動車があれば 人生ばら色 あなたの明日は変わるでしょう♥と・・・。
時折 自分のしている事は 密やかにどこぞを愛撫してその気にさせる
悪く喩えれば 色事師のようだな と思います。欲望の科学 かなり格好つけた形容ですかな。
但し たとえば私が名付け親から関わった、ブルーレットおくだけやサラサーティといった生活消費財にすら、人々は 「物語」を求めて購入してくださっている・・・それは事実なのです。
それら生活消費財を 使うことによって得る便益(ベネフィット)に対する
生活変化期待度という指数によって客観的なデータとなりうるのです。
生活変化?期待度?
ええ 広告からの受け売りなどでなく
愛用者たちは 明らかに其々の人生 生活の場面において おくだけやサラサーティの物語を
持っていらっしゃる。それは 調査をすると目の当たりにする事実なのですね。
そう 我々は 物語を消費するために生きている。
または 生きると言うことは 物語を消費すること なのかもしれないのです。
そして 冒頭の村上春樹さんのインタビューにある作家の役割とは
原理主義やらの「神秘・権威・秘儀に畏れひれ伏したがる」人間の想念(思考+感情)の悪癖
への対抗策として 物語は 有効な存在なのです。
ちなみに ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』には 「神秘・権威・秘儀に畏れひれ伏したがる」
人間にとって 宗教や制度が イエスキリストの 博愛や平等より 人間にとって
価値があり 魅惑的かを 唯物論者のイワンが華麗に解き明かす
「大審問官」の一節が あります。おそらく 村上春樹さんもドストエフスキーと
同じ高見に立たれたのだと 思います。 ドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を
書き上げたのも たしか 60歳でしたっけ。

最近 マーケティングの復習を兼ねて 孫子を漫画で解説する本を読んでいたら
中国の戦国春秋時代の諸子百家に 「儒家」「道家」などと並んで
「小説家」というのが存在したのを 初めて知りました。
ふ~ん 法華経や福音書の成立のはるか数世紀前に 既に
人々は 物語=小説という 自分とは別の人生をたとえ話として物語りされて
生きる術を求めた・・・または 感情を如何に意思的に自己教育していくかを
解き明かすことの有効性を 知っていたのでしょう。
余談ですが トルストイも晩年は 民話の力に頼りました。
法華経の奇想天外な物語の連続を 聖徳太子や弘法大師空海までもが
なぜにあんなに敬い護持を薦めたのか・・・
ちなみに 法華経と日蓮宗を熱狂的に愛した宮沢賢治さんは
『セロ弾きのゴーシュ』を書いていらっしゃいます。
小学校1年の頃 私は その絵本版を学校では 教室に入るや否や
学級文庫から取り出し自分の机の 教科書などを入れておく隙間に
隠し 自宅でも同じ本を買ってもらってボロボロになるまで
繰り返し読み続けたそうです。自分ではうろ覚えですけれど・・・
ただ この言葉が好きだったのは よく覚えています
啄木鳥曰く
『ぼくら どんな意気地ないものでも 一人前に啼けるようになるまでは
喉から血が出るまで 啼き続けるのですよ』

怠け者で不器用なゴーシュが 動物たちに毎夜脅され煽てられ宥められつつ
ヤケクソでチェロを弾きまくった挙句 彼は ある日 名演奏を万雷の拍手を持って
褒め称えられるのでした。めでたしめでたし という物語は
高校の頃 上野の反戦法師様より 
「あれは法華経というより 釈尊の口癖で 『精進してますか』というのがあってね
小さな子供にまでにこやかに笑み浮かべて尋ねたと。
あれを物語したのかと思われるなぁ」と教わった。
 『人生の最大の娯楽は 精進、つまり 努力すること。努力の成果が
 期待した果実でなくとも 努力を愉しむようになれば 人生 勝ったも同然』
天台宗の反戦僧侶は きんぴかの衣なんぞ身に着けずに
痩せて引き締まったお顔で そう仰った。
                        ※
大学時代 私が最後に撮った8ミリ映画の題名に フランス語のレシ recit
小話とも物語も訳すべき語彙を 用いたのは 因果律の為せる業かしら・・・。
カート・ヴォネガットが 『母なる夜』で 主人公の妻の可愛そうな妹を
レシ・ノトと命名した由来を 未だ 私は 存じ上げない。
・・・・・・人生とは そういうものだ。Hi-Ho!
最近 精進してねーなぁ・・・そう自戒して 今日はこのへんで お後がよろしいようで。[たらーっ(汗)]


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