栗庵流人・新帳~その76 [栗庵]
盆栽が欧州でブームになりつつあるという。
日本の職人芸は 価値がある。
嘗て浮世絵も欧州の絵画を変えたりもした。
ピカソだって 北斎漫画や歌麿の春画に出逢わずば
果たしてキュービズムへの確信などできたかどうだか。
日本映画が ハリウッドスタイルから大いに学び
溝口健二と小津安二郎という両極端なスタイルを
提示して 今でもそのワイルドホースの轍を
なぞる事は 欧米でこそ盛んである。
ゴダールが初めて日本の地を踏んで訪れたのは
京都の溝口健二の墓であった。
ゴダールはワンシーン・ワンカットに憧れた。
そして先日 撮影中の自動車事故で他界した
テオ・アンゲロプロスも ゴダール以上に
なんとか溝口の長回しに迫ろうと努力し続けた。
小津のリヴァース・ショットは
簡単そうでなかなか手ごわい。
役者の顔の大きさはまちまちだが 小津は
ワンショットごとに 同じ顔の大きさにした。
出来る限り 目の位置を画面上の消失点から
引いた横線に合わせようとして
イマジナリーラインなんぞ無視してしまう。
畳の縁(へり)によって画面上に線が走るのを嫌い
小津はローアングルにしたという。
私には フェルメールの『赤い帽子をかぶった女』の
アングル カメラ位置を真似ているように思えるが
公言していたのは 畳の縁だ。
そして小津のレンズは 最も人間の視界に近い
標準、50㎜である。映画一本約700カットを
彼はこのレンズだけで撮った。
溝口は 確か80㎜をメインにし ズームレンズを嫌った。
そしてカメラは常にクレーンの上に置かれ
リハーサルは 溝口がクレーンを占領してから
移動車係やカメラマンに位置からスピードまで
細かく指示し 役者がセットに入ってからは
カメラマンと二人でクレーンに乗って
役者の芝居を見詰めていたと宮川一郎カメラマンは証言していた。
その節撮影本番中でも溝口が 役者の演技にのめり込み
身を乗り出したり 唸ったりするのでクレーン台は揺れるので
重いカメラにも拘らず 宮川はカメラを支えるヘッドを
固定せずに片手でその揺れに対応したという。
一人の職人だけでは 到底為し得ない技の結集が在ったのだ。
浮世絵も その名を語られることは 絵師より遥かに少ないが
彫師 摺り師の名手が 存在して成立していた。
盆栽も さぞかし 多くの職人気質と職人の探求が募っているのだと思う。
そういう 魂や心が籠った作業には 言葉の違いを越えて
共通の驚嘆、共通の共感が モノを越境して届いてしまうのだろう。













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