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我々は マインドゲームスをしにきている [自分への手紙]

ジョン・レノンの1973年に発表した『Mind Games』は
ビートルズの末期に創られ、『Imagine 』の後に発表されている。
つまり 前者が突端で後者が発展型ということになる。
こんな歌詞が 『Mind Games』にある。

Yeah we're playing those mind games forever
Projecting our images in space and in time

我々は 想念ゲームを永遠に愉しんでいる
我々のイメージするところを 時空に投影し続けているだけさ

以前にも書いた通り 我々人類の宇宙における存在理由は
造化の妙放出器官である。但し殆どの人々は
95%の脳細胞を共通無意識に拠って造化の妙放出器官として遣い
天才・アインシュタインでさえ 10%程度しか自己の意志で
脳細胞を活用していない。

ジョンは だからこそ 戦争や不寛容に喘ぐ世界でなく
愛と平和に満ちた世界が 実現可能なのは
我々が 怒りや憎しみという感情から解放され
想念ゲームを我々が本当に望む世界に意志的に夢中になることを
命がけで呼びかけ続けたのだと 私は思う。

『日月神示』がたえずくりかえす 人と神が融け合う
神人となるのが 神の道 神道である は
まさに 想念ゲームの正しい そして厳粛な道筋を
御魂磨きを最優先させているのだと思う。
なぜなら 私利私欲だけに 我々人類の持つ本来のSPECを
遣い放題にしたら どうなるか お分かりでしょう?

同党一栄ではなく、 
滅私奉公 上意下達 を『日月神示』の神様は忌むのである。
我を出すなと厳しく戒めつつ
我欲を浄化するのであって 我を殺してはならん とも。
滅私奉公上意下達なんざ 我善しの権化が美辞麗句で粉飾した
「組織の為に」という奴である。
そう TBSドラマ『小さな巨人』の決まり文句で
この国は『組織の為己を殺して』という教条主義によって
国家機能が動脈硬化しているのだという指摘に
まさに集約されてしまう。
にしても『小さな巨人』は 顔芝居が歌舞伎だし
まぁ話が 勧善懲悪物だから
それはよしとして 香川照之さん脳の血管キレないかぁ 
と心配だった。
結末も 釈然とはしないが めでたしめでたし。

そして初回とラスト三回だけ観た『リバース』は
原作にないラストになっていたそうだが なるほど
あの原作者の書かれる作品に真面な感情教育は無いものね。
それでかぁ。。。ドラマは立派な感情教育を描いていた。
ついでに
『あなたのことはそれほど』は結局初回だけ観ただけで
ラストもネットでネタバレを観ただけだが
成程ね。最後の最後に冬彦モノから大逆転したってわけか。
流石 ドラマのTBS!ですなぁ。火曜10時のTBSドラマは
スタッフ陣が ちょっと群を抜いている。
日本の民放局で唯一オープンセットも組めるスタジオ
持っているのは TBSだけだものね。
そして日本に現存する映画会社を含めても・・・。

逸脱したように テレビドラマのことをザッと書いてみましたが
つまり 人々は 想念ゲームをもう少し正しく
そして 我善しに傾きすぎないように気を付けながら愉しむために
映画やテレビドラマが そして自前の想像力を鍛えるには
小説で自分の脳内にイメージを育む訓練をすることが
どれほど 大切な時代になっているかということに
この拙い文章は結論付けられるのでございます。

私は ゲーム会社が バックミンスター・フラー博士が
主導した 【ワールドゲーム】をネット上で設営しないものかと
思うのであります。とても知能を遣うし知性も必要だ。
更に 我慢というか 自制を促すというか。
冷静な知性をワクワクしながら鍛える
それこそ Mind Games をするために
我々は生まれて来たのだという事を実感できるようになるために。

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人と出逢えるかどうか それが問題だッ! [自分への手紙]

いえなに 昨日(1月17日)の『マッサン』における
鴨居の大将のことでんがな
凄いですね「社員と社員の家族の生活を護り 仕合せにせにゃならん
そのために イミテーションのカモイゆわれてもへっちゃらや!
石に噛り付いても利益を出して皆に分配すんのが ワシの勤めや
それが ワシの義務や」 

米国のピーター・ドラッカーの『マネージメント』
そのまんまやんけ
確か ドラッカーは可也 日本の経営者について研究し
あの発明家、バックミンスター・フラー博士に背中を押されて
『マネージメント』を発表したのも有名な話ですから
鴨居の大将、壽屋の鳥井の大将の噺なんてのもご存知だったかも。
そして
「よっしゃあ ウヰスキー会社がうちだけでのうて
2社3社あった方が その分 日本に広まるのも早くなるし
大きな市場にもなる 決めたで」
と 何も言わず 十万円の小切手を書き 
「貸すんやない。 退職金や」

朝観て 昼も観ちゃいました。 脚色もあるでしょうけど。
いやぁ 同じ大阪でもイミテーションのなんたら言われていても
ちゃいまんなぁ そうか わては マッサンのような仁徳ないから
鴨居の 鳥井の大将みたいなお人に出逢えんかったんやね。
ガハハハ と笑ってごまかすしかないですわな。
しかし
壽屋さん、現在のサントリーさんは 面白い会社で
戦前 コピーライター片岡敏郎という森永製菓で活躍した人を 
引き抜いて やがて 彼が発案した
【莨のみの歯磨き粉 スモカ】 を独立させ
その製品発案者の片岡敏郎を社長にしちゃったりしたんじゃなかったかな?
この片岡敏郎のコピー案集、特にスモカだけを集積した
本を未だに私は大切に持っております。
20代の終わりごろから 
フォルクスワーゲンの平面名作広告集と片岡スモカ広告
更にデビッド・オグルビーの『売る広告』にある
売り上げを著しく伸ばした広告キャンペーン集を
其々対比しながら その本質を自分なりに抽出すべく
あれやこれや 考察を暇なときに書き巡らしたノオトを作っておりました。
30代は随分その考察を基にして実践で試してみたりしました。
それはそれで愉しいことでしたが 私が33歳で転職した広告会社は
上役はこぞって賞取り優先なので ガッカリしたものです。
広告賞を幾ら持っていても 売れる広告やマーケティングを考案できる
可能性なんて無いですからね。
寧ろ広告表現は話題になったけど
商品は 十年もこの世に存在せずに終わるなんて例の方が多いくらい。
エリマキトカゲが三菱自動車の何という車種の広告だったか
思いだせる人の方が少ないでしょう。糸井さんには申し訳ないけど
あれなんか 賞取りまくったけど肝心のモノは売れず
数年で市場から姿を消しましたよね。 

 自分がネーミングし その実証広告を成功させたり 
あの会社の初の女性製品として成功に導けた実績を
この人生にちょっとは爪痕として遺せたし 
それらは共に
25年の製品寿命をとうに全うして今も顕在している。
あの会社の社員方々とそのご家族の生活の糧に少しは
貢献し続けたでありましょう・・・かしら?

鴨居の大将みたいな人に出逢えなかったのは
私の不徳の証 なので
だからこそ 昨日の『マッサン』は 殊更 胸に応えたのでしょうな。


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MerryChristmas! Without any fear [自分への手紙]

ジョン・レノンは そう歌った。
せめて クリスマスぐらい 恐れを無くして
心明るく 前を観よう

観音経は 念彼観音力で
心の恐怖を拭い去れとしか説いていない。
※彼の観音力を念ずればと訳す。

日月神示 とは よく見ると
日プラス月=明るい なのである。
だが 身魂、御魂磨かないと 
こんな風にでんぐり返すぞとお示しあそばす。
但し 艮の金神様は 思兼の神様であられる。
思い遣り深き神様である。だから神々の罪を
背負って 根の国底の国に向かわれた神様である。
その神様が ようやく顕れる時代が やってきた。
この神様の行いは すなわち 人間界にあって
神の子として人の世に現れて 十字架を背負った
イエスの姿に映しかえられていることを
そろそろ 我々は 明確にすべきらしい。
伊勢神宮の伊勢とは イーシェ=イエスでもあるのだから。
これは 駄洒落ではないのであります。

この12月16日から冬至まで
北半球に 太陽は昇らず オーロラが妖しく揺蕩うだろう
そう NASAが 内々に予告していたと言う。
爆弾低気圧が発生してはいたが
THE DAY AFTER TOMORROW という映画で描いていた
超急激氷河期の到来になどに成らずに済んだ。

日月神示の神様は そうはならぬ そうはさせぬ
と仰っていた。

地球と人類が互いに愛し合うとは
藻油田の油を この星に還すことでもある。
それは是非すべき行動だと私は思う。
その前に この国に生まれたのだから
この国が 大いに和する魂で結ばれるためにした
神々と人々が 神の道を聖典や戒律に拠らず
伊勢神宮の遷宮に向かって人が為すべき
心の姿勢 手作業の継続 素材になる自然への畏敬の念を
黙々と 続けてきたカタチと心で示しもうさく
示す編に申すで 神、その道=神道 を粛々と行いで魅せる。
あぁ なんと こんなにも
古くて新しい素敵な国に生まれ変われたのだ!
それだけで 仕合せ者だったのだと 
一人でも多くの人々が 瞬間瞬間感謝すべきなのである。
それが身魂=御魂磨きの礎。

大掃除などしても と 遊び暮れるのは如何なものか。
そんな簡単な事もせずに 御魂磨き怠って
畏れ多くも 伊勢神宮に対してですら
御利益信仰だけの パワースポットだのと
自己中心丸出しで 初詣などする者が
多ければ多いほど この国は 傾く。
いや いざという時 そんな者は 自分と同じ自己中しかいない
世界に アセンションしてしまうことは間違いない。
思い遣り深く 利他主義が自然な人々しかいない世界に
アセンションしていきたいなら 自分がそうなるよう努力すればいい。
ただそれだけのことらしい。 自分が棲みたい世界に相応しい
人になる 想像力があれば それに従がって努力すればいい。

「天災望むは 悪の極みぞ」 とポツリと日月神示で洩らされる。
つまり あぁ早くアセンション来ないかしら でんぐり返すような
天災が起こって・・・ そんな悪心は是非とも心から除きながら!
心から取り除くといってもなかなかモヤモヤするのだから
だったらサッサと掃除するのが一番いい。心がウジャウジャして
ままならぬのなら 寧ろ体を動かし 掃除して悪心を取り除くを
行為として実感してしまう方が易い。 だが本当は心の中で
心の掃除ができるようになるのを目指すのを忘れてはいけない。
なのだそうです。基礎編ができたら次は高度なステージ、ですな。

以上 これらは 9割方自分に向かって申しておるのでございます。
ですので
明るい Merryな Christmasを 
皆さま お過ごしくださいますように♪
前の記事に引き続き 今回も 永遠の幸福を観た者に
もたらす コスタリカの鳥 ケツアールを

ケツァール.jpg



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みろくの記事として [自分への手紙]

いえなに このブログを書いてきて
丁度666番目の記事にあたるので
6が三つでみろく。
ヨハネの黙示録には 世界の終りに登場する
怪物の別名ですけれど 日月神示においては
まさに 五六七(みろく)が六六六(弥勒)となり一度666とならねば
弥勒の世にはならぬ と書いてあるそうだ。
黙示録には この666の意味を知恵ある者よ
解き明かしてみせい!と凄んでいるが
日月神示には 善悪共に抱き参らせるべく
イシヤ(フリーメーソンとその上層部のイルミナティ)と手を結ぶことだ
と銘記されているのだそうです。

まぁ 誰がそうするかといえば 日本人とユダヤ人の聯合体らしいです。
ユダヤ人というのもいろいろ勢力図&出自が複雑ですし
我々日本人だって 誰が本当の日本人だかどうだかよく判らない。
天皇家は まぎれもなくそうなのでしょうが かと言って
天皇陛下万歳と云っているから日本人であるをクリアできるかどうか
表面的なところで如何様にも取り繕えるわけですから さてなかなか。
たとえば 身・魂磨きしているかしていないか
その心の準備ができているかいないか で判断したとすると
殆ど日本人ではない という事になりかねないので厄介ですな。

ところで私は 生まれ月日が五六でカバラ数が七ですので
子供の頃から弥勒菩薩さんとご縁がありました。
たとえば父親が全く信仰に寄らず思い付きで 
広隆寺の半跏思惟像を模した市販の陶器製の仏像を仏壇に飾っていたりして 
みろくさんなのかみるくさんなのか判らず
兎に角毎日物心ついたころから拝んでいた。
母方の祖母に連れていかれた北青山の導了様も弥勒信仰。
天命庵もつまるところ艮の金神様、国常立尊様であり
弥勒世への方向性であったので 宿命的な何かがあるようです。
・・・・勝手な思い込みでしょうけど。

そんな思い込みのままに想念が走れば、というかその流れに
いっそ身を任せていると ブライアン・ジョセフソン博士を知り
と同時に 20世紀末には既に日本において
早川秀雄博士が 重力の斥力によって
UFOの原理をかなり科学的に解析されていたのを今更知る。
早川教授は残念ながら 既に物故されておられますが
彼のUFO研究に最も強烈なラブコールを送ったのは
米国のNASAと軍産共同体だったそうですが 飽く迄 日本人のみで
基礎原理は完成させたいとお応えになったらしく その直後から
彼の研究は欧米の正統派科学者から 
今のナントカ細胞の如くニセモノ扱いされ散々な目に遭われた。
日本の企業や政府機関が彼の研究を完成させる為に
相当力を入れなくてはならないのだが・・・。

 相対性理論だって越えて行かねばならぬのに
ジョセフソン博士が仰るように 正統派科学の牙城に居座る者が
柔軟性を失くして ただ新しい観点を潰す事で権威を示し
権威の中で自己中心的な思い上がりを正統性なる大儀を纏って
権威のヒエラルキー、ピラミッドの頂点に座するだけだ。
それでは ガリレオを異端審問した中世の教会と同じではないか。
此処まで現代科学で地球という星を追い詰めているのだから
現代科学はもっと柔軟性を以て 事に対処すべく
権威主義的になる事を最も非・科学的振る舞いと共通認識すべきだ
という事は文系の私でも判るのであります。
しかも 地球の歳差運動は必ず 半世紀を待たずに来ます。
重力における斥力のコントロールができなければ
人類文明は ノアの方舟あたりからやり直しです。
つまり フリーエネルギーと宙に浮かぶことのできる乗り物と
宙に浮かぶ都市です。方舟じゃあ対処できぬほどになるかもしれない。
だから日月神示には 半身半霊状態になった人類の三分の一だけが
弥勒世を迎えられると禍々しい出来事を前ぶれとして示し
そうならんようになんとかしなさいと事前勧告しているのでありましょう。
身・魂磨きしているからあたしは大丈夫なんて甘いかもしれません。
半身半霊の状態で生き残って仕合せかどうだか 立証されていませんから。
米国人のバックミンスター・フラー博士が定義した富とは
通貨はもとより黄金だって富じゃない。
 富とは 人々の知恵と創意工夫、技術の総体と
 個々人の思い遣りの心だけだ。共に支え合って心豊かに暮らせることだ」
この富の定義をある程度制度化した空中都市の建造という方が
私は 弥勒の世に近いのではないかと思うのですがね・・・。

さて。地球を生命体として捉える事が 非・科学的だという人はおりますまい。
だがそれは単なる情緒的な問題でと口籠る科学者は危ない。
つまり権威主義なだけで 思考と感情の螺旋状態が
量子論を理解する基礎認識である事を弁えていないのを白状している。
「だって私の専門は電子工学ですから」なんて言い訳が続くだろう。
フラーはこういう専門バカを製造する大学や教育機関を時代遅れで
足手まといと1970年代に断じている。

それが人間である事と一体何の関わりがあるというのだ?
この自問自答をしうる科学者と技術者だけが本物の時代は来ている。

 2012年の7月に起きた太陽嵐という人類の科学では想定できない
磁気嵐を地球はわずか9日間違いで真面に受けることなく
公転軌道を走り抜けている。
アセンションは起きていたかもしれなかったと 
今更NASAは発表している。
太陽が噴射した磁気嵐の向きが偶々地球の方向からずれていたと
全くの偶然だったと歓んでいる。
そうならなかったのは 偶然ではないかもしれない。
それを一番知っているのが おそらく 彼らであるはずだが。
人類が太陽嵐を真面に受けると滅亡寸前になり 経済は在って無き状態となり
地軸のジャンプが起きれば 自転停止もあって生き残る路など在る訳もなく
せいぜい幽霊となってアイスボールになった地球の廻りを周回する状態で
我々は 弥勒の世を迎えていたかもしれない。半身半霊状態でなく
まるごと霊的存在になって。亡霊として。
それではまずいだろうと誰が思ったのか?
人類の共通無意識か?そうではないだろう。
 太陽系全体がそう想念しただけだろう。
木星と火星の間に揺蕩う 造化の妙なる流れが地球を救い
地球という星が人類に最後の機会を与えたのだと
文科系の私は思うのである。

それが人間である事と一体何の関わりがある?
私が唯一、文科系の勉強しかしてこなかったけれど 最も大切な事を
渡辺一夫というラブレー学者から解き明かされてきた学びである。
そうでも言わなければ 私の人生の行く来し方の辻褄が合わぬだけかもしれないが
だったらそれこそ変えることのできない宿命だったと肚を据えて
残された時間を精一杯やるだけのことだな・・・としたためておきたい。
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ニコラ・テスラとバックミンスター・フラーが出現しても尚・・・ [自分への手紙]

ニコラ・テスラの自伝を読んだのは 彼がいわゆる『フリーエネルギーシステム』を唱えた先駆けだからである。テスラは 1856年生まれだからアルチュール・ランボーとほぼ同年代の人だ。
そしてフラーよりも40歳年上だ。 このクロアチア出身の発明家は2度ノーベル賞候補になり
2度とも辞退している。この人の名をそのまま、つまりテスラを数値名にしていたりする。
フラーと同様に 戦争ほど無駄遣いは無いという見地から 再生可能エネルギーや効率よく
軽量な蓄電池開発を考案し続けた。挙句には 電気は無線でこの地球上の何処へでも送れるシステムなんかを第一次世界大戦前夜辺りに発表してしまう。その実験で人工地震や人工雷雨が可能であることも図らずも示してしまう。
  交流による配電は テスラの開発で 直流を主張したエジソンと大きく対立した。

 テスラの自伝は フラーの『クリティカル・パス』よりも遥かにロマンチックであり
同時に 上記無線で電気を送電する際に起こした副産物が
軍関係者に注目されてしまう。テスラ本人は 反戦主張が強かった為に却って、マッドサイエンティストの汚名を(軍産共同体によって)着せられてしまったのではあるまいか?
フラーのドーム建築技術も軍産共同体にいち早く採用されるけれど 武器としてではなく、
兵站(ロジスティック)の効率性として用いられた程度だった。
おそらく テスラと同じ轍を踏まないという意志をフラーはかなり強く持っていたと思う。
だからこそ フリーエネルギーシステムについては 
フラーは決して詳細を公にしなかったのだ。
ちなみに私が テスラの自伝を読んだ感想は 
『米国は グレイスキンからでなくとも既にフリーエネルギーシステムを開発している』
ということである。 だのに未だに シエールガスだと?!
地球の歳差運動も フリーエネルギーシステムを隠匿する者達は
テスラの人工地震や人工雷雨の技術で制御可能だと思っているかもしれない。
同時にテスラが火星という惑星に人類が居住できる可能性を示唆しているので
テスラの発案していたフリーエネルギーシステムは 火星で使おうとしているのかもしれない。

 それにしてもテスラの自伝は 彼が60代になって書かれたらしいが 既に彼は世間から無視され
孤独にニューヨークホテルで暮らしていたのだろう。文章はパラグラフの冒頭に宣言された
内容とは全く違う方に噺が落ちてしまう部分が多い。孤独な老人の繰り言、老人の回想独り言で自慢話や自慢話めくのを唐突に恥じ入るのが 妙に小説的には魅かれるけれど
肝心のフリーエネルギーシステムなどに関する彼の説明は 
電気工学系の勉強をしたことがない私のような者には ひたすら眠い。
バックミンスター・フラーは余り専門用語を使わずに 一般的で初歩的な物理学程度に語彙を抑えている。フラーらしい用意周到さでもあり、フラーの方が孤独な人生を歩んでいなかったお蔭でもあろう。
 テスラ自伝には 彼が幼い頃から閃光が彼の視界を走ると 
彼の網膜は彼の脳内の映像しか写さず
現実の事物を視覚しなくなり 時には聴覚触覚など他の五感まで心象たる脳内世界を感覚したと告白している。
私の場合は 幸いにも 閃光が視界を過らなくても 睡眠中の夢見だったり
小説を書いている最中に起こるので テスラのように苦しまずに済んでいる・・・と言いたい。
だが 広告を作っている頃は 脳内でこれから制作するのはこの案だと分かる瞬間に
白昼だろうとなんだろうと私の網膜には明らかに目の前の事物でなく 撮影されたフィルムが映写されていた。
フィルムが映写機のシャッターの前を通る際に聞こえるカラカラという乾いた音すら聞こえた。
だから 他にもっと広告案を考えろと周囲からやいのやいの言われるのが 苦痛だった。
「結局は この案で制作するのに・・・」

 アルチュール・ランボーの『イリュミナシオン』というのは『直観』と訳すべきだったのだ。
思考と感情の二重螺旋構造体を自ら制御し行き着く直観という名を持つ 閃光の世界と。
そしてその直観世界の大切さとその制御に至る経路を示したのが ルドルフ・シュタイナーである。
つまりランボーの言うところのヴォワイアン=見者のことであろう。
ニコラ・テスラ、ルドルフ・シュタイナーとアルチュール・ランボーが
【見者】という言葉を中心にした聖なるトリニティを私に示していることになる。

一方 バックミンスター・フラーは もっと実際家として、 輝く 光路そのものに思える。


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昨日の続きとして~ヨブ記とサーチュイン遺伝子 [自分への手紙]

ちなみに サーチュイン遺伝子とは 以下の如しです。
英語:Sirtuin gene、silent information regulator gene

酵素の一種で、老化を抑制する機能を持つとされるタンパク質。
「ヒストン脱アセチル化酵素」(HDAC)の下位分類の一つ(クラスIII)。
最初に発見されたサーチュイン遺伝子はイースト菌から発見された「Sir2」である。
同じ分類の物質を、酵母では「Sir2」、マウス(実験動物)では「Sirt1」、
ヒトにおいては「SIRT1」と表記して区別する。
サーチュイン遺伝子が活性化する要素として、
適度なカロリー制限、バランスの取れた食事、食べ過ぎない、
といった事項を挙げることができる。
また、ワインなどに含まれるポリフェノールの一種、「レスベラトロール」と呼ばれる物質には、
サーチュイン遺伝子の働きを活発化される効果があると言われている。

日曜日のNHKの番組では この遺伝子は 飢餓期にあって人類が
絶滅しないために 体験的に産みだした?特殊な遺伝子で
現代人にとっては 本来作動しない遺伝子だそうですね。
「腹八分目に医者要らず」とは耳慣れた養生訓ですが
上記のこの遺伝子解説を読むと体験と観察、そして直観による
人々の智慧というのは やはり 内なる造化の妙と外なる造化の妙を
一体化してしまう思考と感情を二重らせん構造にする意志力なのでしょうなと
一人でガッテンしてしまいます。

さて。とはいえ、私は 奇妙なことに番組を眺めている際に
バイブル(旧約聖書)のヨブ記を思い出していたのです。
あの絶望的な義人ヨブの物語は 救いが全くないのです。
しかも 凄惨極まる飢餓において 女性が産まれなくなり
子孫継続ができなる一節が 私の脳裏に浮かびあがりました。
これは タンパク質の不足などの原因と 老人たちばかりが
生き残ったために起こる 皮肉な結果が 更なる悲劇を展開するのですが
まぁ・・・詳細は グーグルで検索してください。
ルドルフ・シュタイナーの書物によれば
ナザレのイエスは 殊更に この『ヨブ記』を繰り返し読み
多くの人々と 対話し 弁証法的な思考実験を試みたということです。
十字架を負って 人類の罪を一身に引き受けて 人類の贖罪を
請う道を選んだわけであります。
義人・ヨブも 絶望のどん底で 幾度も身に起こる悲劇に怒り苦しみますが
最期は死を以て 全てを受け入れます。
ハッピーエンド版もあるそうですが
私は 読んだ事がない。

不老長寿の薬だかを容易に我々人類が手にすると
安直な死生観を基にした享楽主義が蔓延するでしょうし
そこへもってきてiPs細胞による自己再生技術があると
ますます 我々は 悪魔に近い存在になって
この泥中を愉しむ場所に 唯物主義的な快感だけの世界に
幾らでも作り変えることができるという思い上がりをするでしょう。
しかし 人口問題は どうなるのでしょう?
食糧は 間に合うのでしょうか?
快楽主義を謳歌しうるのは 金持ちと相場が決まり
思い遣りの深さを育て 魂を宇宙の造化の妙に還すという
我々がこの地上時空にわざわざ降りてきた目的を回避する
死生観が横行するのでは ありますまいか。
そうでなくとも 飢餓体験が少なくなった民族は
出生率を低下させ 滅びゆく傾向があるのですから
懸念は深まる一方です。
我々が人口調整をしなくても 神・・・民族霊の 見えざる手によって
それは起こるとしか言いようがないようです。

そして 私は 可哀想な天才・ニーチェの『ツァラトストラはかく語りき』だったか
人類の野放図な 欲望に任せたままの科学の発達は
結局 人類の中から 悪人や先天的な疾患に関する遺伝子を
浄化する(クレンジング)思想に憑りつかれるだろう・・・・と。
一方、ラブレーは 16世紀に 『ガルガンチュワ物語』で
あの 美しい心と美しい肢体の美男美女しか生息しない
『テレームの僧院』を描きます。そのユートピア小世界は
美しいばかりです。善しかない。
ただし それとて結局 排他的な善でしかありえないのです。 

何が善であり 何が悪であるか。
その答えなど 私が持っているわけなどないのです。

それは 対話という弁証法を 重ねて 行くしかないのです。
思考と感情を絡めあいながら 堂々巡りをしながら
上昇を引き寄せるコツを見出しながら・・・・

医学や科学が進歩しても 哲学や宗教が死生観を曖昧にしたままならば
我々は 容易く 享楽主義によって自滅できる生き物なのです。
享楽主義の決定的な脆弱さは 
「すぐに絶望し 絶望を乗り越えるガッツを亡くしているから
とっと自殺をする」です。

科学的な長寿という享楽は おそらくガッツを弱めるでしょう。
つまりなんらかの副作用で 腸を弱めるでしょう。
英語で腸はガッツですから・・・。腸を大切に。
但し 乳酸菌摂取が有効かどうか・・・私には疑念があるのですが
まぁ生物学者じゃないし 語る資格もないのですが
どうもね・・・ある人にとって善玉菌である乳酸菌が
別の人にとっては 日和見菌程度でしかなかったり
下手をすると 悪玉菌的な存在である可能性があるはずなのです。
それこそ 個人の遺伝子情報と照合して必要な乳酸菌摂取の
技術も可能になるでしょうけれどね。

子供の頃観た『ソイレント・グリーン』という映画
思い出したりもしましたね。


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生きろ 生きろと 聴こえてきたら [自分への手紙]

「つらい時は 胸に手を当て
 耳を澄まして じっと 掌から伝わる鼓動を
 よ~く 聴いてごらん。
 『生きろ 生きろ』
  そう聞こえてくるはずや」

天命庵のおやさまの教えの基本中の基本です。
そう聞こえてくるまで たなごころを
じっと胸にあてていなさいとも仰せですので
お試しください。動揺を抑える秘訣でもあります。
さて。
我々の五感を「五識」とすると その五官情報を
快・不快で識別するのが「六識」。
その「六識」で我々は思考をしたり
感情を沸き立たせたりします。が概ね 快・不快にだけで判断し
良からぬ考えや嫉妬などの感情に支配され
折角の思考力や感情の力を 「思い」ではなく「重い」にしてしまうのが
常でございます。思いが 重い混みて 執着となる。
これを 解けほどけと 佛(ほとけ)のおしえ。
般若の智慧は大宇宙へと飛び 
その宇宙論は 量子論にもなって妙法蓮華経が在り
全てを救うから 恐れずに 正しい 良心に反しない
生き方をしなさいと 説くわけです。
いくら 観音様が寛大で慈悲深く 衆生を救われると言って
良心に反する事を 恐れずにせよ などと
顛倒した誤解を大手を振るってしては いけません。
観音様は別名 観自在菩薩様ですよ。
つまり 泥中に花咲く蓮華の仏種たる 菩薩を
自分自身の内に観なさい という化身でございます。
この世に起こる 切ないことごと
この世の者とは思えぬほどの悪辣なる者もいる。
一方で 全く逆なる出来事やお人が
この同じ泥中に存在するのでありますが
蓮の花というのは 面白い花でして
連鎖して咲くというのです。
悪業三昧の真似をする愚か者もいる一方で
善行に尽くす真似をする者もいる。こちらを真似ぶ
学ぶ者というのです。
だから 後は 「勇気」の二文字のみなのです。
どっちの真似をすることが 観音行なのか
大いに和するという魂に恥じぬ生き方をするのは いずれなのか?
他人のせいにしては いけないのです。
一人ひとりが 恥じるか 恥じないかを問われているだけです。
人類が恥を忘れたとき・・・そのとき人類は間違いなく滅びる
とタルコフスキーの『惑星ソラリス』という映画の中で
ある科学者が叫んでおりましたが まさに そういうことです。
それが イエス・キリストの説いた
自由意志だとも 私は思います。
徳とは 蛮勇でない、尊大さでもない、勇気という清々しさだと
孔子様も 説かれております。
そういうおしえを生んだ御国にも そういうおしえに
従がって生き抜く方が 大変少ないのは大いに哀しいことですが
八百万の神々を湛え、讃えるこの小さな島国は
おおらかに 本当に大切なおしえによって生きることを
予め賦与されているのですから その在り難さを自覚せずに
ただ「天皇陛下万歳」だけを心にもなく叫んでいれば、
事足りるという恥知らずでは 
それこそ天皇への不敬の罪を犯すのです。
もう二度と大政翼賛会時の愚かさにだけは陥らぬように
一人一人が 畏敬の念を大切に育まねばなりますまい。

「六識」を快・不快の二元論による支配から解放し
その「六識」の自由で豊かな想念活動を
無言で支えてくれている「七識=マナ識」は
生物学的に名付ければ「ホメオスタシス」であり
仏教的に名付ければ「観世音菩薩=観自在菩薩=観音さま」でございましょう。

泥中であらばこそ 自分の良心に恥じない生き方、
すなわち 思いやり深くこそあれ 思い上がるべからずを実践する。
この生き方さえすれば 七識・マナ識は 
この大宇宙を創造してやまぬ
無限のアラヤ識の 無限分の1のアラヤ識へと薫じられ 
肉体の死を迎えても
無限の愛である大宇宙のアラヤ識へと還ることが叶うわけです。
その叶えこそが 今生の 唯一の目的です。
エターナルリターンとはそういうことでしょう。
人生ってのは シンプルなものなのですね。本当は。
さぁ 試しに 胸にお手を 当てて 
生きろ生きろと聞こえてきますかどうか
耳をお澄ませください。


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ジョン・レノン生誕70年 [自分への手紙]

☆みなさま どうぞ You tubeで ジョン・レノンの生誕70年の祝祭を是非ご覧くださいませ。

 私がここに動画を埋め込むは僭越でもあるので どうか各自そちらへ

もう30年も前になる。 光陰矢のごとし・・・

彼が死んだ日 

私は高田馬場で シネマ研究会の溜り場になっていた『ろばた』に居た。

確か 『サゼスション』の次に撮ることになる『レシ~物語』のシナリオを

西山洋一に読んで貰って 彼の感想を聞くために そこに居たんじゃかなかったかな?

誰かがラジオの極東放送を聴いていた。

「ジョン・レノンが 死んだらしい 撃たれたみたいだよ」

小さな居酒屋は 騒然としだした。店内の有線放送をラジオの極東放送に切り替えられた。

ニホンの、ビートルズ世代より一回り年下の若者たちも 一様に重い空気を共有していた。

私も ビートルズの A Day in the LifeとRevolutionを 『サゼスション』という8ミリ映画

許諾なしで みすぼらしい光学磁気のサウンドトラックに埋め込んでいた身だった。

I'm shot!

元お絵かき小僧で ロックンロールの王者になった青年の最期の言葉が

私のシナリオにも書きくわえられるだろう。

Without any fear 何も恐れないで 

とジョンとヨーコは自分たちの先妻、先夫のもとに

残してきた自分たちそれぞれの息子ジュリアンと娘キョーコに ハッピークリスマスを歌う。

Love is knowing to be loved 

とても分かりやすい英語でしか ジョンは歌詞を書かなった。

しかし  この単純なラブソングの歌詞は あまりにも訳しづらい。

愛は愛されたいということでもある・・・・ 

訳さなくても分かる? だから訳せない。

あのジョンの声で聴けば よくわかる 感じ取れてしまうということである。

 God やMother を 私は 彼の死後に聴いた者だ。

だから 本当のファンとは言えないかもしれない。

Startinng Overは 輪廻転生とも翻訳可能だし 歌詞内容もそんな感じだ。

Woman が できそこないの生物である男として

共感はなはだしいのはこの数十年来変わらない。

あのイントロを聴くだけで 母や姉をはじめ ありとあらゆる 私をめぐる女性たちに

まるで 私が 『罪と罰』のラスコーリニコフのように 大地にキスをしなくてはすまないような

想いが 胸の奥から湧き出してくる。

星々の書き定めし運命のごとく 

私の成功も失敗も すべては 

女性たちよ あなたたちの掌中にあったのだ。

ということで。

法華経の如来寿量品十六偈頌を ジョンの魂のために唱えようと思う。

ジョン・レノンさん あなたに神や仏の御めぐみを!

 


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新成人のために~思考実験で生きてみるという経路 [自分への手紙]

過去・現在・未来が 実は同時に進行していることを
物理学的数学的に証明したのは アインシュタインである。
そのことは 仏教においては とうに想念として確立していたことでもある。
ただ 我々は 現在しか認識したり実感できない。
だから 占い師や超能力者に頼るべき・・・だろうか?
いや待てよ・・・他人に自分の人生を委ねるなんて 勿体ないことではないか?
そう 感じたとしたら 以下の思考実験は どうだろうか。
思考実験その①
「過去は変えられないが 過去を 活かすことはできる」
過去のあれやこれやを クヨクヨするのをやめる。
といったって クヨクヨするのが 人間である。だったらいっそのこと
そのクヨクヨという感情を まず 停止させて自分を客観してみる。
そのクヨクヨしてしまう過去の失敗を解剖するためだ。
あの時 あんな判断をし、あんな行動や言動してしまった自分を
冷静に いや 外科医ぐらい冷徹に 落ち着いて見詰めるのだ。
そして紙と筆記用具を調達し
その挙句に受け取った現実体験から その結果に至る経緯を
箇条書きにしてみる。まずは 考えつくまま 順不同に。
その作業中 おそらく胸はドキドキするだろう。悔しさやら
切なさがこみ上げてくる。それでも その感情を厳しく意志を持って
抑制する。おそらく自然に涙が流れているかもしれない。
さぁ 解剖結果、書き上げた箇条書きは 自分の失敗パターンである。
あらためて その自分の失敗パターンをつくづく眺めてみる。
そうそう そのときには 自分を落ち着かせてくれる音楽や環境音を
意図的に用意してほしい。元気を出してくれるような曲でもいい。
波の音のCDなんてのも ある。
そして 自分の失敗パターン箇条書きを
慎重に時系列順に並べ替える。
じっくりと考えながら 原因結果の順番をきちんと見極める。
自分の失敗パターンをきちんと自分で認識しえたら
そのパターンを繰り返さないと 決意する。
早速 現在の自分は 失敗パターンを繰り返しているかどうか
試してみる。パターンに嵌っていたら
そのパターンから脱け出すための手段を考えてみよう!
今何に備えるべきか?今何に集中して努力すべきか?
反射的に反応し考え、そしてできることから すぐに行動する。
危機回避行動(言動)というのが 過去を活かすということなのだ。
自動車免許の講習で、「危機回避行動」を教わる。それは
危険な方でなく 危機から救われる方に 
すぐさま視線を移せ!と。
この反射的反応(視線を移す)ができずに ガードレールに
目が釘付けになったまま あの世へダイブする自動車事故は
日常的に起きている。悲しいことだが・・・。
どうだろう?
過去は変えられないが 過去を活かせる・・そんな気になりましたかな?

人間は 失敗からしか 学べない。
そう開き直って間違いではない。
トイレの壁にでも 半紙に「人間は失敗からしか学べない」と
大書し貼って 開き直ってみてもいいぐらいだと 私は思う。

思考実験その②
「ビクビクするぐらいなワクワクするまで妄想に浸れ」
人間は誰しも未来に対してビクビクするようにできている。
確かに多少ビクビクするぐらいでないと慎重さに欠けた
行動をするものだ。特にお金に対して、多少用心深さが必要かもしれない。
金をあるだけ使いきる癖なんてのは 自慢にならない。
寧ろ失敗パターンの代表例といってもよかろう。
しかし 過去における失敗パターンの挙句の果てに
現在が成立している事を 思考実験その①で実感したら
未来もそのままで よいと思う 暢気な人は いないだろう。
過去を活かす目的は ワクワクする未来のためでもある。
現在の危機回避にもなるが 現在の自分からは想像もできない
未来の自分に出会う旅に出るためであるはずだ。

日記を 書くことは 現在 自分が失敗パターンに嵌っているかを
見極める材料になるのだが
未来を創造するためにも有効利用すべきだ。
つまり 明日を煩ってビクビク泣き言を書き付けていたら
ペンの色を変えて ワクワクする明日を妄想し、書いておこう。
危機回避の応用である。
そして 天命庵のおやさまは 毎日幸せ日記をつけろと仰った。
なんでもいい。~で幸せでした!ありがとうございます!と
一日一個でいいから必ず書いて 感謝する。
示す偏に申すと書いて「神」である。生かされていることに感謝することは
現在を活かすことになる。
ユーミンの初期のヒット曲に
やさしい気持ちで目覚めた朝は 目に映る全てのことはメッセージ
とある。けだし(I think) ユーミンはこの曲を若くして書けたから
あの神がかり的な活躍がある・・・才能と強運とはそういうものだ。
そして
それでも泣き言恨み節ヤッカミ愚痴の数々が心にわだかまる。
灰汁取りも必要になる。正式な日記とは別に
チラシのウラにでも 泣き言恨み節などなどを 
うんと汚い文字で書き散らすとよろしかろう。
但し そんなものを溜めて置かずにサッサと破って棄てること!
幸せ感謝+未来妄想ワクワク日記を気分よく且つ冷静に書くために
心の灰汁を まず吐き出しておくのも大切なこと。
「ビクビクして イジイジして 自己嫌悪 自己否定する暇があったら
ワクワク ゾクゾクするほど 妄想するほうがマシだ」
この反射的反応は 危機回避行動である。
そして現在を変えなければ未来は変えられないという思考回路を
取り戻すための感情を意識的に心に沸き立たせる行動でもある。

最高に困難な思考実験
それは 「自分の成功体験から成功法則を見出す」
これは 上級篇ですぞ。
だいたい成功体験が無い・・・概ねの人はそうなのだ。
せいぜい通勤電車は 何時何分のどこそこ行きの何両目なら
座れる、程度の自己成功法則ぐらい・・?

西鉄の大投手で 名伯楽として知られた稲尾さんは
徹底的に得意を伸ばしてから
欠点を少しずつ確実に直す練習を自分自身にも 後進の指導にも通したそうです。
そして「超一流になるには 成功体験から成功法則を見出せるかどうか」
なんだそうです。
イチロー選手は 失敗例から失敗パターンを見極め
毎年 打撃フォームを改良するのを 愉しんでいる。
しかし 本当に難しいのは 成功体験から 自己成功法則を見出すことだ
と やはり 言ってました。
ピカソも 超絶写実主義の十代を経て 青の時代 キュビズム 新古典主義
と作風を変えました。「自分にしか描けない絵」を描くために
失敗を恐れずに ひたすら描き続けた結果です。
北斎の春画から 視点の多重偏在を見出していた彼は
科学的な証明を待たずに ダ・ヴィンチの「モナリザ」が
左右別視点で描かれていることを見抜いておりました。
そして大胆にも 「泣く女」を 描いて見せました。あれはピカソの「モナリザ」であります。
よく観ると 女性の画布に納まるサイズなど モナリザを模しいてます。
彼が画家としてビジネス的に成功したのは ある画商との出会いでしたが
その画商を垂らしこむ手管は 幾つかの恋愛から学んだ成功法則・・・なんですな。
画家や作家という浮き草稼業には ピカソ的な思考実験を愉しむ気質が
不可欠であります。

今日 二十歳のお祝いを迎えた方々に ご参考となればと
上記 したためた 次第にございます。
いやべつに 三十五歳の方でも 六十歳の方でも
上記思考実験をお試しあそばせ!
そして なかなか わが人生上首尾なり!と相成られたのなら
身近な方々へ お繋ぎください。その節はご遠慮なく!


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観自在菩薩 [自分への手紙]

自惚れと自己嫌悪の狭間で我々は 生きている。

自惚れ ナルシズムの極北に在って『大丈夫?自信過剰じゃない』そういう声が アタマだか胸の奥からしてきませんか? 

自己嫌悪の最果てに在っても『そんなに自分を虐めて愉しいかい?』という声も 聞き覚えございませんか? 

それらの声こそが 『本当の自分』です。

我々は本当の自分という大きな氷山の海面にちょこなんと浮き出した表層的な自意識が 全てであり 自己であると思い込んでいます。 

そして上記の 声たちは 時によって親兄弟だったり 友人や恋人、恩師から実際に 発せられたりします。 

幾ら愛しい人でも 彼女、彼氏は 私ではない・・・とは 誰しも思うものですが

実は それは あなたの『本当の自分』が恋人の『本当の自分』と繋がっていて『大丈夫? 自信過剰じゃない?』という言葉を発してくれているだけです。 

法華経の観世音菩薩普門品の中で観音様は 33のお姿で現れますが神仏のお姿であれ普通の人間の姿であれ

その人にとって素直に 己の佛種に目覚められる姿をして現れて 仏道へと導くという一節がございます。

応以○○身得度者 即現 観世音菩薩 ○○身而為行説法のくだりでございます。 

別に仏道を成就したかねーやと思われていましても 

まぁ 自分の中から聴こえるあの『本当の自分』が発する声に ハッとして我に還った経験が 在ったり

親のあの一言で あやうく暴挙を止めて事なきを得たなんて人生の場面は 誰にでもあるでしょう。

また逆に あの時 自己の内なる声に従っておけば親や恋人のあの一言で 我に還っておれば

今更こんな目には遭っていなかったろうという後悔の経験も・・・・。

かくのごとき申す私も 寧ろ上記 逆の体験の山に馬齢を重ねておる次第。 

我々は その身その身は はなればなれになっているのだけれど

実情として 距離的に隔たれていたとしてさえも目には見えない同じ巨大な氷山を共有しあう氷山の一角同士にすぎない。 

偉そうなことを書いておりますが 私はどうかすると 実にくだらない事に腹が立ちます。

たとえば 駅の構内の導線を守らず自分だけが忙しい身のように血相を変え人を蹴ってでも電車に飛び乗ろうとする輩を見かけると追いかけてそいつの膝のウラに蹴りを入れるか 片足のかかとを踏んづけてやりたくなります。まだまだ 観音経が身についていない証拠ですな。 

 自由とは 自分勝手 我儘に振舞えることでしょうか?自由という二文字をつくづく眺め考えますに

『自分が何故 これこれを言動し行動もする由縁をしっかり認識できている状態の「自分」のこと』では ありますまいか。

本来 自由自在で一つの言葉であったかもしれぬ。 

この空の下に在って 多くの人々が己の欲を殺し、したくもない仕事をしてでも愛する者たちを生かす為に生きている姿に溢れています。

願わくば己を 活かすことと 傍を楽にすることが並び立てますように!

そんな 人生であったれば さぞかし 爽快でありましょう。

さて。『JIN』というドラマの中でタイムスリップした主人公 南方仁に向かってまだ己の道を見出していない坂本竜馬が 

「南方さん あんたの その 欲の無さは なんぜよ!そいでは まるで 仏さんぜよ!わしゃ 心配じゃ!

人間 一皮向けば 己の欲を頼りに生きちゅうがや!もし 欲っちゅう便(よすが)がのうなったら

わしゃ どうやって生きていけるか・・・解からん!あんた ホンマに 生きとるんか?」というシーンがありました。

まぁ 荒唐無稽な架空の物語ですが ハッとさせられました。現代からタイムスリップした南方仁は 未来から来たことを竜馬には告白できないのでしたが 

後で こう呟くのです。「坂本さん・・・ボクは欲が無いんじゃない!ボクだって 平成21年のボクであれば 

私利私欲で生きていますよ。ただ 自分は幕末の世にタイムスリップして来ただけで

この幕末の世界に居る自分を まるで 夢のようにしか感じていないからです。

つまり 幕末に居る自分に執着しようが無いんです。幕末に存在している自分など 全く実感していないのですよ。

ボクは 相変わらず平成21年に存在する自分の方を 実感しているだけです」このモノローグにも ギョッとしました。

つまり この竜馬と仁の告白は 般若心経の解く『般若の智慧』ではあらんかな?

法華経の『三世の諸仏』と一刀両断に示される、現在・過去・未来(三世)は『本当の自分』にとっては 同時進行である!

という宇宙観に繋がる経路が・・・と。

 『本当の自分』にとっては 現世も過去世も来世も同時進行中です。現在の自分という乗り物の見かけやなにやらで粉飾してもどうにもならないように 

過去世の悪業に苛まれているからと諦め自棄になっても、 来世に託して 開き直っても 『本当の自分』に嘘偽りで誤魔化すかぎり 過去世において悪行悪業は ますます救い難く事の次第は進行し、今世も同時に泥沼へ堕ちるしかなく 

来世も同時に悪化の一途を辿る。

ならばしていっそ 今 此処で 『本当の自分』の声をしっかり聞くしかあるまい。

まず 心落ち着かせ 観自在菩薩、自らに在る菩薩の声を観じられるまで考えよう。

人の親切 ありがたさを思いだそう。そう あの親切が 『本当の自分』・・・・

いや 私が あんな親切を人にしたことなどない。私はあんなありがたい事を他人にしたことなど 無い。

しかし その親切 ありがたさを感じて 心から ありがとう と言った私がかつて 存在したことも 確かだ・・・。

そう それが 『本当の自分』なのか・・・。この自問自答が 三昧 または 瞑想。

無念無想は そんな自問自答の果てにようやくたどり着く地平。

その地平に立てた と観じられた時人は 今生における一事を成し遂げられる自信に溢れ 

三世 ともども瞬時に 乗ずる。 我々は 仏門に入らねばそのような事はできないと思い込んでいるが

そんな自問自答は 常日頃の暇な時 5分10分見つけてすればよい事。

無念無想の地平は 日日 家族や愛する人々の為に糧得る仕事(家事も含める)に自ずと 現れてくる次第なのであり、

悟りなど 中間管理職のストレスの山にこそ埋まっているやもしれぬもの。

次から次へと山積みされる 家事 子育ての対処にこそ無念無想の地平に繋がる王道が 隠れている。

コツは ただ 一つ。諸問題から まず 自分を勘定から引き算すること。己を埒外に無理矢理にも立たせて眺めてみること。 

そうすれば 糸口が 見つかってくる。見えてくる。どうしてもそういう仮説にすら 立ちえない時こそ

外に立つぞと 決意し、般若心経でも観音経でも南無観世音菩薩でも南無妙法蓮華経とでも 

一心不乱に一時間でも唱えまくれと あるご僧は諭してくださいました。

そうしていると 外に 『本当の自分』が ちゃんと現れると。

子供の何気ない一言で 目が覚める。テレビドラマのなんでもない場面が妙なヒントを与えてくれる。 

欲とは そういうふうに遣えば良い。だから 欲の無い人間なんて 無気力自暴自棄なだけなのだ。

自分の欲を 縁りよく 由りよく 選りよく 遣う 智慧に頼れば観ぜられる。

悟りとは そういうものではあるまいか?・・・と。

自分の歩もうとする道の先達たちの達意妙言に触れるにしろ形から入るのも常道だけれど 

中心線に 『本当の自分』との対話があれば 達意妙言に潜む 具体的なあれやこれやが観えてくる。

料理人、大工など職人の道に よくある解脱の経路であるそうな。 

出世上手の世渡りを手本とするのは いかがなものか・・・。

太閤秀吉の 豊臣家は 一代限り。三途の川を渡る瀬は孤独と恐怖の四文字にすぎなかったことは 

心得ておいて損はない。 

外に在って、観世音菩薩、普く世の音を観じたもう菩薩として衆生を救い続ける観音様がお在すと信じきって、

このわが恐怖を解き放ち脱け出させくださると恃み

ただひたすら 己の能力を最も 人様の為に活かすべくに集中する。

南無観世音菩薩!

なにとぞ 己が為だけを願う愚かさから 我を脱け出せ給え!

この先に きっと わが心 飛ぶが如く 爽快に生きる時を在らしめ給え!

『本当の自分』と一体となって さぞかし 自由自在なる時を! 

以上は このブログを書いている私自身への手紙です。戒めです。 おしえでは ありません。

ご参考になる方もいらっしゃる・・・かもしれません。ブログとは そういうものです。 

 さて。 先週の日曜日に放映された NHKスペシャル「リーマン予想」

てっきり あのサブプライムを引き起こした数学の天才ども集団 リーマンブラザースの悪行でも 曝け出すのかと 思っていましたら ハハハ19世紀の素数に魅せられた数学者の話でした。 なかなか素晴らしい番組でした!

非可換幾何学というミクロの世界に関する数学が 最後の方で紹介されていました。

その泰斗たるアラン・コンヌ博士が「ミクロの世界には 素数と関係するある種の流れによって成り立つ空間が在る」

と仰いました。 そう それが 造化の妙なる流れ=【造化の妙】ですよと 私は テレビモニターに向かって応えました。

不連続なるつなぎ目のようなものが ミクロの空間に存在しその不連続が 繋ぎ合わさって流れを造る次元に

我々は存在している。自己は他者であり 他者は自己でもある・・・

この不連続性なつなぎ目を上記の 舌足らずな私のお経解説のような文章に認めたつもりです。

ただ 私は 素数によって この宇宙や次元が 論理的に解き明かされてもその論理に乗ずべき 

我々の死生観や 人生への価値観は果たして 

素数の定義「1と自数だけでしか割り切れない」が突きつけているように

やはり 『欲』の問題に捻じ曲がるのでは ありますまいか。

素数には ゼロと1が 含まれていないということも 門外漢の私には  実のところ 不可解です。 

其処は数学的に捨象すべきなのでしょうけれどね。物理学的には捨象しえない・・・?

アインシュタインが 量子論への道を拓きながら 立ち止まったのは

彼が ただ 既に老いていたというのが 理由では 無いでしょうし。 

iPs細胞 遺伝子操作・・・不老不死にたとえ到達しえたとしても

我々が 生きること 死ぬことの 連続性に対する きちんとした価値観を持たねば何の意味もなく、

相変わらず 老いては 年金貯蓄恃みの社会構造しか創造できないとするならば・・・・

相変わらず 金持ちになれば不老不死となり貧乏であれば老いて死ぬだけの末路を受け入れるだけではないでしょうかね?

結局 拝金主義の勝利じゃあ 夢も希望もありますまい・・・。 

なぜ 癌細胞が 予め ホメオスタシスと相反しながらも 存在しているか。

ホメオスタシスという偉大な生命の制度が どうして がん細胞だけはその制度の力を行使しないのか・・・・

その答えを待ちながら

素数の秘密を解き明かした時それが パンドラの箱では ないように 心から祈りたいと存じます!


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