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極私的な欲望の科学=無責任なマーケティング案 [マーケティング]

欲望の科学=経済学 そうのたまったのは 
英国の牧師?とにかく聖職者が本職だった
アダム・スミスであり
彼の書いた『国富論』は近代経済学の
始りと高校時代の授業で習った。大学の経済学史でも
講義を受けてたが原書をあたろうとしたこともない。
ただ彼が描写する神の見えざる手とやらによって
東インド会社は 大英帝国をはじめとする西欧列強をキリスト教付き
植民地主義を担う。彼の弟子だったか孫弟子に
『人口論』のマルサスがいる。彼は東インド会社の職員を
教育する専門機関の教授にもなる。その教育機関は
今でも高等税務職員なんかを育成する大学だそうです。
英国ではケンブリッジやオックスフォードを卒業するより
そっちの方が 実質的な出世が望めるとか。
ノーベル経済学賞取るのはそっち出身者が多いらしい。
なんせ ロックで世界中からマネーを掻き集めた
偉大なるロックスター ミック・ジャガーは その大学だかを
ドロップアウトした人。確かに欲望の科学を
ロックというやり方で立派におやりだ。
因みにジョン・レノンは アートスクール出身。
ミックとジョンの違い・・・判るかな?
ワカンネーダロナ・・・。
イエェェーぃ!
さて。
壮絶な父娘対決となった家具屋騒動。
かぐや姫が勝つって どうだかなぁ
イケアとニトリの購買層に合わせた大塚家具の
製品を 大塚家具店の包装紙でくるまれたら
イケアとニトリの購買層の見栄、虚栄心を満足させ
利益を増やす可能性が高いという
欲望の科学=マーケティングだとしたら
多くの株主たちは 誤った判断をしたことになる。
ありえない。イケアとニトリの後発に出られる企業体質じゃない。
しかも三番手になることは 愚か者がすることだ。
以上 経済学の基礎も知らなくても株主になれる資本主義の
茶番劇を 斜めからヤジを飛ばしてみました。

とはいえ イケアとニトリがやっていないことを
大塚家具で叶えられるのなら 話は
俄然変わるだろう。 それは 家具買い替え時、
生活者にエコロジー&リサイクルを提供する
サービスを別企業のつもりで開発する。
イケアやニトリの安物から 大塚家具製安物に
買い替える人々にですら 引き取り廃棄処分を
エコロジカルでリサイクルな方法で致すイノヴェーションを
提供できるかどうか。
どっかに違法廃棄されるとか徒に燃やすとか
そんな既存の用済み品引き取り廃棄サービスではなく、
あぁ エコロジーだね なるほどリサイクルだな と
感心させるようなシステムを構築できるかできないか。

家具って買い替える時 今使っているのを
どう処分するかで結構 人は 心が重くなる。購買意欲をそぐ。
粗大ごみを地方自治体に頼むにしても 限度がある。
引越の時なら引越し屋さんに頼めるけど
それでも あのドサクサ紛れの廃棄依頼って 心の棘になる。
いや 全然気にならないという人の方が多い?
でもそういう人は 大塚家具の高級家具を買う人にはならない。
よしんば泡銭掴んでも 家具に拘らない。
値段だけ高いのを選ぶか 多慶屋で値札と相談するでしょう。

イームズの50年代復刻版を大塚家具店まで
見に行き検討する客は やはり エコロジカルな
リサイクル廃棄システムを提供してくれる
イノベーションを 心待ちにしているだろう。と無責任だが思う。
そういう客層は 実のところ 
消費生活行動の中心的な存在になるのが 不思議ですね。
それを現代風・神の見えざる手とでも申しましょうか。
それでも 結局 正しく資本主義社会が成立している時に
限定される現象かもしれませんけど。

おっとつぁんの意見も正しいが 
娘の危機感も間違いじゃない。
だけど アホウの三番手には ならないように。
手ごわいからイケアもニトリも。
お値段以上♪なんつー
サウンドロゴまでニトリは確立してますのでね。
イケアは Beatlesのノルウェーの森に出てくるぐらい
世界中に刷り込みしてますよ。数十年かけて。
ノルウェーじゃなくてスウェーデンなんすけどね。
ジョン・レノンがスウェーデンの森だと歌いづらいから
ノルウェーにしたとか。まぁどっちも北欧だし。
ミック・ジャギャーだったら 絶対スウェーデンの森で
歌えるように曲も歌詞もいじるし
秘かにタイアップ企画をイケアに提案してただろうけど。
ところで イケアの郊外店舗で催す
スウェーデン製の本家本元バイキングが評判ですね。
六本木にあったスウェーデン大使館の隣にあった
バイキング料理の店に行きたかったけど
もうなくなったのかな?スケベニンゲンとかいう
名前でしたよね。あれ ドスケベイだっけ?
スペイン料理のタベルナと並んで話題の店名でした。
ギロッポンジュビジュバ!

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誰のための製品なのか? [マーケティング]

私が知っているマーケティングとは
ポジショニングが全てである。

誰のための製品(サーヴィスを含め)か
その人達のために 何がお役にたてるのか
そして
競合製品との差異は 何か

この3つがマーケティングのカメラアングルを決める。
つまり視座である。仮説を立てるための視座。
そこから眺めて最も製品とターゲット(誰のための)に近距離になる
コミニュケーションの仕方が見えてくる
これを 販促・広告戦略という。

「誰のための」 は調査をするだけでなく 自分で体験しなくては判らない。
演繹法による仮説がなく 帰納法的に調査データから仮説立てするのは
余程数学的才能がなければ 無理だろう。だが 演繹法仮説自体
数学的な作業であることも否めない。しかし自分を実験台にするのだから
泥臭いが こっちの演繹法の方が 容易なはずだ。
とはいえ 「正しい」調査をすれば ターゲットは明瞭に描写できる。
或る一人を想定描写できれば 何を訴求すべきかも繊細に理解できる。
そういった作業は人類学的なフィールドワークによく似ている。
だから 愉しかった。 
私にとって数値データなどどうでもよい。
調査によって知る人々の心の動きや 表情や手振り身振りという
表層表現の下に隠されている表現内容意識下を探るのも
長谷川伸が 注意深く 土方仕事や色町のおかもちなどしながら
十代を生き抜きやがて 感情教育の猛者になる経緯よりも
遥かに気楽で小奇麗な職場で数十年過ごせたことを感謝しなければならない。
だがして長谷川伸がしたように観察眼を養うことは 生半可でない。
意志力、根性 半端じゃない。かといって私のような折角の機会も
活かしきれないのは 最早才能の問題というオチまで付くけもの道哉!

さて。
私がネーミングした製品の直近の広告キャンペーンは理解しがたい。

「11日に一度しかトイレ掃除をしない人のための」製品と仮説しだした。
大丈夫だろうか?週に2回から3回 トイレの床まで拭き掃除するような人しか
あの製品を買い続けてくださらないのは 30年経っても大して変りないはずだ。
手抜きしたいという本音が表出しても それは 自分がトイレ掃除を
小まめにしている人も述べるが それを解決してくれるモノが月200円ぐらいで
この世に存在するとは思っても居ないから述べる 自分の神経症気味な
振る舞いへの自嘲でしかない。
このあたりのナイーヴな表層下の意識をしっかり観察せず 数値データ重視で
広告表現として しかも舌ったらずな15秒テレビCMだけ世に出したら
どれほど コアユーザーの誇り=プライドを傷つけるか分ったモノじゃない。
はっきり言って 4人家族の主婦で11日に一度しかトイレ掃除しなくても
大丈夫だという意識の人々が ブルーレット『おくだけ』なんて買おうとすら思わない。
その辺の意識が30年したら大いに変わったという意識調査をしたのだろうか?
信じられない。 3年毎に1000人規模調査すらおやりにならなかったのに。

 証言広告というのは別名 愛用者確信広告という。
愛用者の確信への共鳴が
周縁に存在する愛用者に近い意識の人々に伝わるかどうか 
かなり難度の高いクリエィティブだ。 
なにしろ 直ぐに「やらせ」という生活者の
広告に対する広告警戒レーダー網に引っ掛かる。
だからP&Gは この手の愛用者確信証言広告を 
労多くしてリスク高きゆえ 滅多にやらない。
いきなり見知らぬ人に試してもらい 
効能効果を実感してもらうスタイルの証言広告は 
ジョイでやっているが 食器洗剤だからできるだけだ。
ブルーレット『おくだけ』でそんなシーンを撮影できますか?

 コアユーザーのプライドを傷つけ 継続購入への検討機会を
わざわざ広告製作費と媒体料を掛けて提供したようなものだろう。
更に間違って買ってしまった元々トイレ掃除など入念にやりはしない人が 
過剰な期待値の判断によって「オーヴァープロミス」と認識し 
それはこの会社の全ての製品への
不信者をおカネをかけて 増やすだけのことになる。
オーヴァープロミスに対してのリスクをコンプラ問題ぐらいにしか認識しない企業だが
大胆不敵である。

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それでも偶にはマーケティングについても書く [マーケティング]

プライマリーベネフィットとは
例えば 食品ならどんなに健康的であっても
おいしいということが 第一、根幹の便益である。
洗剤なら洗浄力である。
健康側面においてダイエット効果が
医学的にも画期的でイノベイティブであることが
実証されているのであれば おいしさも
プライマリーベネフィットにはならないかもしれない。
しかし 青汁が おいしいでなく
まずい でプライマリーベネフィットの真逆をやって
一挙に市場形成した実例もあるのだから
やはり 味についての食品は基本的に約束を広告でする必要がある。
少し話しは横道に逸れるけれど
金融恐慌時代に 自動車は 移動手段 というプライマリーベネフィットを
キャデラックは 移動手段でなく プライドを満足させるモノにして
大不況時代に最高売上を達成した例もあるが 世情自体が狂気していたので
私は 平常時に参考になるとは思えない。だが 世情に潜む狂気について
きちんと見抜けるマーケッターやコピーライターなんぞそうはいないだろう。
日本では あのスモカの片岡敏郎ぐらいなんじゃなかろうか。

花王さんのアタックは 粉洗剤で登場した際も
スプーン一杯で驚きの白さに という洗浄力訴求を
忘れなかった。小さくなった事をくだくだと訴求せず
あくまで洗浄力というプライマリーベネフィットで市場を形成した。
その液体洗剤では どういうわけか すすぎが速い
エコロジー訴求をして出た。一方 後発のトップ・ナノックスの方が
プライマリーベネフィットである洗浄力訴求をして たちまち
勝負あったと相成った。実際 洗浄能力も後発の方が高かった。
だいたいエコロジーマーケティングに本気ならば
たとえば ヘルシア・コーヒーを缶で売るはずがない。
直ぐにでも フリーズドライの粒状で発売しているはずである。
そしてその方が価格が高くても 家族が父親、配偶者のメタボ対策に
協力し易くなるので 価値が価格よりも少し大きくなるはずだ。
缶を大量に週一度の資源ゴミに出す非・エコロジーな振る舞いを
しなくても済むという 心遣いには頓着せず
ヘルシアのお茶での成功を敷衍しているだけだ。これは
マーケティングの原理原則論的というより戦争論的にはそうなるが
ちと想像力が 足らないのではないかと 私は思う。

ところで便秘薬という市場ほどターゲットの心の揺れ動きが
微妙繊細な市場は無いのであるけれど 
私が敢えて 便秘薬でなく 整腸薬でポジショニングしたのに
便秘薬市場にのこのこ出て 埋没してしまうのは
プライマリーベネフィットの呪縛でもある。
便秘薬市場は 結局「確実に出る」がプライマリーベネフィットになる。
ところが それでは価格競争で店頭において後発製品は
先行製品に勝てるわけがない。どんなに広告で「出る出る」と叫んでも
便秘で悩むターゲットは 一度浮気をして試すのは
新発売時の安売りキャンペーン時だけで 又元に直ぐ戻る。
どんなに脳の中枢神経を刺激してしまう危険性を雑誌やネットで
陰口広告やパブを打っても 明日又は明後日に確実に出る保証にはならない。
こんな複雑な心理が行き交う市場に のこのこ出る非効率性を
避けるのが マーケティングの原理原則であり 戦争論の原則である。

日本では 医療行為である大腸洗浄をデトックスとして
非医療施設が行って 厚労省が 異常なほど神経過敏で
広告で使えない。だからこそ 敢えて整腸薬市場に出て
デトックスを暗に生活者に伝える 奇策を選択したのだけれど
まぁ 本気で市場を創造する気の無い企業になられていたので
泡沫製品として切り捨てるだけ。
次から次へと新製品だけ売る姿勢を示す、つまり
マネージメントならぬマネーゲイムが大切。
だからマーケティングも市場調査もどうでもいいのだろう。
市場調査は数値ではない。人類学のフィールドワークである。
仮説を立てるために行うのであって市場予測など
仮説が正確でなければ 事前予測など複雑な数式で
解明されなければならないが そんな研究をしている暇な数学者は
残念ながら この世には存在しないのである。そしてそんな数学者の
手を借りなくても きちんと仮説ごとに事前調査をすれば
だいたいの事は予測できる。過去の実例に照らし合わす事も可能だ。
そして仮説の立て方は ポジショニングに極まる。
ターゲットは「30代から50代女性」なんてのは
全くポジショニングの意味と大切さが理解できていない証拠である。
ターゲットセグメントほど調査と心理学の知識が必要となる仕事はない。
そして其処を間違えると 訴求ポイントがドンドンずれていく。
絵画を描く際のアングルのセンスが 絵画としての価値を左右する。
写真などほぼそれしかない。デザイン脳力によるマーケティングとは
私が思うに そういうことである。センス感覚というのは
数学や物理でも問われる問題である。それは教えることができない。
そのセンスを持っているかどうかを 見抜く事は可能かもしれないが。
本田圭祐氏のように 持っていなければ持つようにしてみせる
そんなガッツがあるマーケッターやコピーライター志望者など
会ったことがない。まぁサッカー選手と比べて報酬が違いすぎるからね。
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やっぱりマーケティングとはシーズをニーズにすること [マーケティング]

昨夜の『カンブリア宮殿』を観て
やはり マーケティングとはSeedsをNeedsにすることなのだと
つくづく思うのでありました。

森下仁丹さんの シーズは 生薬とそれを一纏めにする銀粉カプセルだった。
それを 徹底的にイノベーションにしていく事から
現在復活されている。いや 全く別の企業へ生まれ変わろうとしている。

仁丹における生薬シーズを『薬膳一口カレー』にするのは
分り易いマーケティングだが それを一口にしたのはなかなかの知恵だ。

極めつけは カプセルテクノロジーというシーズだ。

現社長が外部から就任される前、仁丹の好調時にその基礎研究は行われていたという。
10年利益の出ない基礎研究ができていたというのが 好運だった。
未だ世の中が悪しき株式市場至上主義の経営ではなかった頃だからできたのかもしれない。
しかし それでも その素晴らしい基礎研究の成果を現社長が就任されるまで
ただ 仁丹の延長線上でしか使う事ができなかった。
つまり seedsをneedsにするための 飽くなき市場性探査の知恵がなかった。
狭い視野の中で 嘗ての栄光の延長線上だけの発想では 
折角のカプセルテクノロジーを活かすことができなかった。
今や そのテクノロジーを他社他業種と共同乃至委託による事業に発展させている。
たとえば 私も好きな恵みヨーグルト
胃液で溶けないカプセルにビィフィビス菌を入れて
最もビィフィビス菌が必要な腸内でカプセルが溶ける。

 更なる森下仁丹社のカプセルテクノロジーのもたらすイノベーションは 
レアアースを吸収する性質を持つ微生物を容れた特殊なカプセル。
微生物を取り出せば工業溶解液に溶け出したレアアースを回収できるとか。
更には 子宮頸がんワクチンを注射による投与でなく経口薬にすることで
現在問題になっている副作用問題解決に繋がるかもしれない という。
この経口薬ワクチンを可能にしていくカプセルテクノロジーは
発展途上国での素早いワクチン接種を既に可能にしている。
注射器やそれを安全に使用できる医師看護師無しでも経口薬なら
可能だからである。

 『再生可能技術、代謝的な エコロジカルな技術が 人類文明を
  危機から脱出させる・・・・』
そう言ったのはバックミンスター・フラーである。

なるほど 仁丹の技術が こうしてイノベーションになるのか 
ピーター・ドラッカーの『マネージメント』に書いてあった
マーケティング定義も思い起こして唸っておりました。
本当のマーケティングは 販促活動など不要なイノベーションである。
そしてドラッカーは 企業の存在意義とは 
イノベーションの追究でしかないとさえ 書いていましたっけ。
それは 師匠?にあたるバックミンスター・フラーの
クリティカル・パス』にあるテクノロジーによるデザイン革命が
土台なのだ・・・・と

もうフラーもドラッカーもアメリカ合衆国では忘れ去られたようだけど
あの英国の見者ヴォワイアン作家、H.Gウェルズだけでなく
フラーやドラッカーも この島国を高く評価し、期待していた。
上記 英国と米国の名立たる慧眼の持ち主たちが ご覧になっても
森下仁丹社さんのカプセルテクノロジーに 惜しみない拍手を
されたのではないかしら。


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小さな親切というより大きなお世話かもしれませんが [マーケティング]

ミスタードーナツのポンデリングを食べるたびに思うこと。 マーケティング的なというよりも ただの喰い意地の張った者のたわごとであります。 彼のドーナツは米粉ですよね。だからある一定の年齢に達している下町育ちならば 誰しも 食しながら思い浮かべることであろうかもしれない。 それは

『このドーナツをコロコロとした一口大にし 醤油とみりんで砂糖も加えて甘辛のとろみを加えて そう みたらし団子状態にしたら さぞかし うまかろう』

『つまり揚げ団子状態にして こしあん 其処へメイプルシロップだと ドーナツの面目も保てよう・・・・甘党の強者どもなら 更にアイスクリームも乗せるやもしれぬ』

なぁあんて愚かしい事を  さも 鬼平犯科帳風に 書いてみたのであります。

広告代理店にいたら 結構 本気で 提案しに伺うところです。

もうミスタードーナツさんの広告の仕事から離れて十年経ちますけれど なんだか懐かしいというか あぁ あの時はこうしたことができなかったなぁと ただ辛かったなぁというのと それでも 私と当時の寄せ集め軍団の諸氏と 語り合った

『ありうべきミスドの姿』が 実現化されているのを 眺めるたびに 少し胸が熱くなります。 ♪ いいことあるぞぉ ミスタードーナツ!のサウンドロゴも復活されればと思います。 あくまで おいしいドーナツで寛げる時間と空間を!という意味で。

あのオマケを表現するクリエィティブってのには 納得できなかった。


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ジョブス氏は ドラッカー氏の [マーケティング]

アップルの総資産株価によると
日本の日立、東芝など主要電子メーカー8社の総計を
上回るという報道を耳にして
私は 結局
『ピーター・ドラッカーのマネージメントを
 継承していたのは アップルの創始者で
 アップルを蘇らせた スティーブン・ジョブスだったのだ』
という印象を持った。

人々が 望み 待ちわびているウォンツ 欲求を
満足させる製品(SEEDs=技術、サーヴィス)を
創り 提供することで 
人々の欲求に適い その製品(SEEDs=技術、サーヴィス)の
人々は顧客になり 市場(NEEDs)は形成される。

Seedsは 幸せの種でなくてはなるまい。
ある製品が 人々の欲求を満足させることで
その生活が 変わる。その生活を変える度合が
又はワクワクやドキドキを高める度合が 大きいほど
それを必要(needs)とする人々が
増えるから 市場は大きくなる。

戦略とか戦術という言葉遣いは 簡単な数学的思考モデル(演繹)を
帰納法(経験則)を土台にして示すのに 陣地取りを模し
記号や図式、図解を用いて説明する分かり易さに由来しているのだろうが
一方、米国企業のマーケティング担当に退役軍人や
ウエストポイント出身者が多かったというのが実際ではなかろうか?
だとしても 本来 マーケティングは 上記のような農業的な
仕事でなくてはならないと 私は思う。
よい種を拵えることが 全てであり その種が良く育つための
土壌作りにマーケティングリサーチやコンセプト調査
そして広告クリエイティブが その役目を果たすべきだと思うのだが
今や 土壌作りでなく 広告クリエイティブも単なる「販促」に堕した。

ドラッカー氏は「販促」と「マーケティング」は全く別物だと
書いている。
しかし 土壌作りというのは「マーケティング」だと 私は思う。

興味のない方の多い事を書いてしまいました。
では。 
W杯3次予選最終戦 対ウズベキスタン戦はひどかったですねぇ
誰がゲームメイカーだか最後までわからなかった。
長谷部 遠藤も精細を欠き 両サイドは走れない。
変なところでパスを引っ掛け 意味のないパス回しで自らリズムを崩し
ウズベキスタンに 南アフリカ大会時に日本がしていた
陣形をイメージして各自が一斉にボールを予測して走るサッカー
逆にやられてしまい 安易に 香川の個人技に頼る。
それでいて
肝心の香川を活かすために 何をするか 誰が香川のマークを外す役目を
きちんとするのか その陣形意識を全く忘れてしまった日本代表の
なんと弱いこと弱いこと!
やはり 本田圭祐がいないと 大いに和する魂のサッカーができない。
本田がいないのならなんで中村憲吾にゲームメイクさせないんだろ?
本田がいても 藤本や乾じゃあ 陣形をイメージした走りをしない上、
ボールが自分の足元に入らないと何も組み立てられないんじゃ
今日みたいに陣形で攻めたてられたら アッサリ自分たちのペースを
失う羽目になる。個人技個人の能力を海外で高めるのは結構だが
代表に戻って 陣形をイメージして走る事ができないようでは
駄目だこりゃ 又 イチからやり直しですわな。
陣形意識とはポジショニングのことです。味方と敵とどの位置に
自分がいるべきか ボールウォッチャーにならず
陣形を把握し 自分がどの位置に走り込むべきかの予測だと
私は理解しております。 
あ・・・ちょっとマーケティング的発想ですな スイマセン。


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なぜマスコミの広告媒体価値が落ち目なのか [マーケティング]

また 総理大臣が変るはなから 足をひっぱる報道ばかり。

池上彰氏ばかりが 頭よくみえるだけだ。しかも彼はNHK出身だ・・・。

「G8で日本の総理大臣がコロコロ変るのは 恥ずかしいですね」

なんて報道バラエティで さも 正義ぶってコメントしやがる始末。

誰が この国を衆愚政治へと貶めたのか 自覚もできない浅ましさ。行儀の悪さ。無責任し放題。

それも 電波だろうが紙だろうが マス媒体似たような論調で ただあげつらうばかり。

褒めりゃ 褒め殺し 誰かが叩くと 袋叩きにしないと終わらない。

この下品なマスコミに 高い高い広告料払ってらっしゃるクライアントの嘆きというか

辟易しているご様子に対して 広告代理店各社のご担当は 最早 目を上げることもできぬ

といった状態だろうか?

それでいて テレビ局の正社員は昔から 下請けの制作会社の社員の数倍の月給と

十数倍のボーナスを貰っているのだが 大概 政治家の血縁者だったりするわけですな。

ま 下請けの制作会社の給料とボーナスが余りにも薄給なので 倍数表示が虚しいか?私も薄給の出身だが。

それでいて テレビ局は ちゃんと組合ありの福利厚生施設超充実でね。

旧・ソ連の官僚みたいな方々ばかりだったなぁ....と過去を振り返りつつ

なんで それでいて 『政治とカネ』なわけ? だったら テレビ局から上記縁故社員はすべからく

解雇しなきゃならんのじゃないのかなぁ?自分たちは一切カネとコネは関係ないとは言えないでしょ 本来。

恥知らずというか 厚顔無恥というか 「よく ゆーよ」と呆れ果てている世論の空気を読めず

時代を読むとかさ・・・冗談は顔だけにしてほしいと 心から叫びたくなることがある。

自分だって男は公共放送のしかも某御曹司を選択しているくせに 「カネの問題のない清潔な政治」

って そりゃあないよ・・・「もっと命懸けで政治に取り組んでほしいものです」って本心じゃないかもしれないが 

不誠実にしか聞こえないけど。 ご自分だって言ってる事とやってる事が一致せんのに。

まぁ 「ニュースキャスターなんぞ 政治家と同じぐらい言葉に対して命がけ・・・・・じゃなくていいのだ」が    

フジテレビの姿勢なんだろうけどね。

 私は ある乳製品会社を袋叩きにしたマスメディアに対して 当時勤めていた広告代理店の

 媒体局からクレームを入れているのかを 問い合わせしたら

「なんで? わが社は あの会社と取引ないよ」だった・・・。取引があれば クレーム入れるのか と訊くと

「どうかな・・・・前例があればするんじゃない」 だった。  役所かよとがっかりした。

いやなに 私は個人的にあの乳製品会社さんと 前の会社にいた時 少しくお付き合いがあった。

かなり紳士的に遇してくださって ディビッド・オグルビー流にいう「アカウントを獲得したい会社」として

私の個人的なリストの最上位にあったので 実に あのヒステリックな報道が 厭な思い出なのだ。

新聞雑誌は 早々に iPadなどによって 紙媒体でなく デジタル媒体になろうし

その節 如何に広告掲載をし その掲載の仕方 表現の方法なども 論議の渦中であろう。

いやはや テレビ番組のゲイニンのダラダラお喋りや 持ち物自慢やら 好き嫌いだとか

しかも なんで同じ顔ぶれにつき合わされるのか 全く理解に苦しむ。

先日のデンマーク戦も ゲイニンのくだらない喋りにゲンナリして ついテレビを消して

キックオフを待った。あやうく寝過ごすところだった。オランダ戦の香取慎吾も五月蝿いだけで

やっぱ『鬼平』だな とキックオフまで やり過ごせたのが寧ろ幸いだったぐらいだ。

折角 中田英寿氏を現地解説によんでいるのだ。

南アから彼の試合前分析をじっくり聞きたかった。

ところで 最近 Eテレというのを NHK教育放送で観かけるのだが

あれは いよいよNHKが 半分民放になり 日テレと合併するというサゼスションなのかしらん?

そうね そうした再編をして キー局は減らしたほうがいいかもしれない。

報道番組だけは国営放送にしてね・・・。いくら受信料徴収して公共放送にしておてもさ

結局 軍国化すりゃあ 軍人の僕 軍人の目 軍人の耳となり 市民の敵になりさがるさ・・・。

そして

デジル局の空きバンドは テレビといより無料電話回線、無料のテレビ電話に明け渡すのも

現実的な考え方かもしれなませんな。ソフト開発(番組制作)にはカネはかけないが

政治家や検察とのコネ作りには カネをかけるってか?軍需産業とのコネじゃないだろうね?

日中安保条約結ばない限り 沖縄県外移設なんてできるのかしらね・・・。

それだって 日米安保条約がなければ 日中安保だけだったら 沖縄に中国軍基地ができるだけじゃない?

つまり 沖縄基地問題は 今年来年で決着はつかないなんて分かりきっていたのに

辺野古案から宮古島案へを 地道に沖縄の地主さんたちとのコネを作りながら準備していた政治家を

ヒール(悪役)にして 政治をわかりやすくした・・・つもり? 無責任なだけじゃない。

えぇぇ だから 憲法第九条を改定して 再軍備する?それだって 結局

沖縄に基地がないと日本の国防戦略は達成できないでしょ どっちみち。

お笑い番組も もっと数を減らして ドリフとか たけちゃんマンたちのような 体を張ったコントで

知恵絞って 汗かいてほしいわけっすよ。

ゲイニンの安直な発想だけで だらだら笑えない番組ばかり作っていると 

媒体価格も 新聞並みに落ちるんじゃないのかなぁ?

え・・・もうそのぐらいなの・・・ありゃりゃりゃ アチャー・・・・・だねそりゃあ。


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安藤百福さんのマーケティング [マーケティング]

台湾統治時代に 台湾で大金持ちのご子息として生まれ育った安藤百福さんは 少し変った教育経緯を持っている。

旧制の中学に通える家だったが ご本人も 育ての祖父母方も早く社会に出た方が宜しいというご判断で 

図書館の司書になる。そこで数年 日日 ひたすら 読書に励み 知識欲を満足させると

矢張り代々の商人魂が おさまらず 世間という書物を紐解くべく幼少時に亡くした両親の遺産を元手に 

十代で商売をはじめる。台湾で育ち 食の大切さを独自のプリンシプル(自己行動原理)として矜持し 

神戸大阪に移って 様々な事業に挑戦し文字通りの青年実業家になられる。

意外な事に 食品関係は戦後 輸入貿易を興すまでやられていない。

戦後 さらに 塩田事業でも成功していらっしゃる。

塩田事業にせよ 戦後復興時に復員兵や戦争で職を失った人々が巷に溢れ

 中には 悪事に走るという傾向が多かったので 世間様には大切な塩を供給し 労働需要を少しでも起こすべく

塩田事業には 復員兵などを優先的に採用された。

彼の事業にはそういった

 「人様 世間様のためになる」=「商いする価値がある」という理念が必ずあったらしい

そして義侠心のようなまっすぐな心から出る理念は 時として身に災いを呼び寄せる。

安藤さんは終戦直前、 軍需工場の経営建て直しのために経営を任される。

すると物資の横流しが 工場で行われていたのを発見し なんと経営者自らが警察に通報したが

憲兵隊が割り入って 拷問を受け、横流しの張本人にされそうになったりしている。

戦後にも 塩田事業の成功を嫉んだ輩によるGHQへの密告で 脱税容疑をかけられ巣鴨プリズン入りする。

塩田事業で優先的に雇った復員兵を使って何やら国家転覆を狙っているとか・・・脱税とは全く関係のない容疑で

今度は数年 投獄生活を強いられている。いずれも容疑不明のまま 釈放される。

全く 酷い話だが 安藤百福さんは 世間を怨まないのである。

そして逞しく復活し、中小企業育成の為の信用金庫の理事長に就任する。

これも 人助けになるから 金融業なんて経験がないのに引き受けるのだが・・・・

これが とんでもない不逞の輩が背後に居てついに四十七歳にして 自宅を残して 全財産を失う。

通常の人間ならば 充分に世をスネ 世間を怨み呪うだろう。

だが 昭和三十二年 高度成長に入った日本にはもっと必要な「食」があるはずだ・・・と

我が身に降りかかった災いに凹む間もなく いよいよ「食」に関する思考実験にかかる。

おりしも安保条約もあって、米国からの小麦粉輸入を半ば強いられていた日本の実際問題を解決したいと

思考を重ねあのチキンラーメンを発明する。

四十八歳にして高度成長期を支援する見事な食品を世に出し、

実業家として本当の意味において その名を世に出される。

遅咲きと評する向きもあるが 彼ほど世間と人間の本質を

シンプルな「人間愛」だけで読み解こうとした勉強家はいないのであって

欲得損得づくの現代的な企業理念の粉飾作業経営者に全く欠落した

マックス・ウェバーの資本主義における「理念型企業家」の見事な完成者と描写した方がよいだろう。 

 カップヌードルの麺を蒸らすべく麺を中空に収める工場ラインを発案したのは 

百福さんの「思いつめ」によるアイデア降臨だそうだ。

麺をカップに落とすのでなく 麺にカップを落とせばよい!

「思いつめ」すぎて 何かに躓き 寝床に頭から突っ込んだ際その逆転の発想は 「降ってきた」という。

又 カップヌードル自体も 海外でチキンラーメンの試食を米国の政府関係者に勧めた際に、

担当の女性がマグカップとフォークを持ってきて 百福さんの目の前で試食し 「すばらしい!」

と満面の笑みをして叫んだ。その姿を見た百福さんも「すばらしい!」と叫び

カップヌードル開発の号令が日本に伝令されたという。

日本だけでなく海外でも チキンラーメンは売れるの「すばらしい!」つまりユレイカ!だけで終わらずに

どんぶりの要らないチキンラーメンは 海外でも箸でなくフォークで 笑顔を咲かせられるユレイカ!だった。  

 安藤百福さんは いわゆる 机上の空論が嫌いだった。

理念は熱く 人様の世間の実際問題を解決しあぁ~これは助かるなとかホッとするなとか

笑顔の花がささやかでも咲かせられたら商いは ホンマ 飽きないね

という 根っからの商人なのである。

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この姿勢は観音経に由来する姿勢でもある。

世間という書物を大切にして だれかれを喜ばせて

商いが成立するという行動自体が 観音行でもある。

観音様はまさしく商いの仏様でもありますからね。  

調査データにも 半信半疑の姿勢を崩さなかったそうだ。

寧ろ 我が身を販売店に置き 如何に我が商品が愛されるか それとも ソッポを向かれるかを

自分の目と耳で確認しなければ 調査データなど彼には空論でしかなかったそうだ。

そして販売予測が数字の上で展開を示されていても 彼にとっては 

理念が燃え滾っていなければ「単なる数字の遊戯」としか思えなかったらしい。

おこがましい限りだが、 私も 実は そうだ。調査結果の数値データよりも調査における発言や

お客様係への問い合わせの中にこそ商いの活路も 危機分水嶺は ありがたく内在していて

それを どう 読み解き ほぐすかが本当のマーケティングというか商人魂だと信じて

ブルーレットおくだけとかサラサーティとかのお手伝いをさせていただいたつもりですが・・・

・・・・人間としてのポテンシャルエネルギーが比較させて頂くのも全くおこがましい次第。

いやはや脾肉の嘆に歯噛みするでなく 我が膝を叩きました。

昨夜の『龍馬伝』、(このシナリオライターは元々商売体験があるらしく) 

弥太郎の商売の本質は「価値は目に見えない」「客の心の中にある」を描いていましたね。  

 思い出話をこの記事のおさめとして。 

小林製薬さんで 『瞑想タイム』という入浴剤を出したことがありました。 

アロマテラピーとかストレス社会にとかコピーで書くと 厚生省の役人から呼びつけられて大変でした。

それでも 当時の青年社長さんは 鼻息荒く戦う姿勢を崩されない。

私も小林製薬さんの方々に混じって 『瞑想タイム』の試供品を唐招提寺で配布したりしました。

ちょうど 東山魁夷画伯の襖絵のご開帳でもありまして私はそちらを 拝観させて戴く機会を得て内心嬉々として

試供品配布に参加致しました。

いつもはおっかない社長さんが 私と同僚の配布参加を見つけて労ってくださいました。 

「折角の休みにご苦労さんやな 東山さんの絵を観ていきや」と 。

お言葉に大いに甘えてそのまま我々は靴脱ぎに上がったのだが 

不図 振り返ると試供品を手にした拝観者に?それとも我々に?

いや鑑真和上様ご遺徳の記念の日に『瞑想タイム』試供品配布を許されたお寺さまに対して?

いずれにせよ 

合掌されている社長さんのお姿を目にした。 

「ストレス社会に緊張した身も心もしばし心やすらぎの湯で ほどけ仏の、願意なりしや」と 

廿年後の今日に知るとはちと 気付くのが遅すぎた。

申し訳のないことでございます。

 
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