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続いて神聖なる森 [栗庵]

午前9時には宇治橋を渡り
大山祇神社と子安神社を
参拝しました。
五十鈴川を抱く木々、目に沁み入る碧の風。
白砂利の真っ直ぐな参道を包み込むように神聖な森が
なだらかな稜線を描いて人々を迎える。
するともう陽は高いのに 二羽の鶏が連なり歩きながら
一方が鬨の声を上げると 少し間を空けて片方が啼く。
その繰り返しを微笑ましく眺めて手水舎で浄め
五十鈴川のほとりで 深呼吸をする。
瀧祭神を参拝し橋を渡り風日祈宮へ。
この宮に架かる橋も木の香も高く清々しい。
高い木々は 表情豊かである。風に鳴る枝葉の囁きは
陽光と戯れておしゃべりだ。心軽やかになるけれど
やはり ご正宮に近づけば自ずと緊張感が内から
湧き出てくる。
この神聖な森の里には目に見えない耳には聞こえない
造化の妙なる流れが神という呼び名で実在しているからだろう。

内宮さんでも御垣内参拝をさせて戴きました。
こちらでの御神楽奉納は後日。一度に両宮は
今の私には 余りにも身の程知らず。度を越してしまう。

荒祭宮へ参拝して ちょうど一時間が経過していました。
ゆっくりと参道を返し 今一度風の歌 木々の囁きを
聴覚だけでなく視覚触覚を動員して 伺いながら
穏やかな陽光に洗われていく心地よさを満喫する。

予定より早くおはらい町に出てしまう。
五十鈴川カフェで燕や翡翠が水面を滑走するように飛び交うのを
飽かず眺めて詩でも詠もうとするけれど 次に伺う伊雑宮への
電車の時間が気になる。帰りの新幹線も近鉄特急も予約をずらすことを
避けたいので 一時間に2本しかない近鉄の普通電車を五十鈴川駅で乗る為に
バスの時間も気にしながら昼飯を喫すべしと 気ぜわしくなる。
ようやくおはらい町の食べ物屋さんも営業開始だ。
そぞろ歩き川べりのとうふ屋でと思ったがその隣の宝彩という
お店でカキフライを注文する。的矢の牡蠣が大きい!
しかも築地のかつ銀みたように二個抱合せじゃないか!
牡蠣の味噌汁 牡蠣のしぐれ煮 どれも美味い。
しかも「的矢の牡蠣はシーズンもう終わりなので」と
焼き牡蠣2個をオマケで頂戴する。口福!
お腹いっぱいで もう赤福の入る余地は無い。
バスで五十鈴川駅に向かい 途中 月讀宮へ寄るべきかと思ったが
今回はともかく 伊雑宮を優先させた。
上之郷駅は無人駅。小さな駅が近鉄線には多い。進行方向
一両目に乗らないと乗降できないので注意が必要。
田圃ばかりが一面に広がり山二つ越えてやってきた小さな村。
此処に神宮の別宮が在るのかと 訝りたくなるほど
人家もまばらだ。ちゃんと駅前に伊雑宮への案内看板がある。
旅館を右手に観て 斜め前にお宮の鳥居が直ぐ見える。
駅から歩いて4分もかからない。
朱い鳥居ではない。木なり地なりの大きく背の高い鳥居で
倭姫宮における気配が 私には感じられた。
参拝者以外は 人の気が見あたらず 
林が訪れる者を参道に招くような 静かなお社だ。
ホーホケキョと林を飛び交う鶯が鳴き合う。
太くて良く通るいい声だ。参拝者に語りかけてくるような
妙に人懐っこい調子で こちらの口元がほころんでしまう。
ホーホケキョと啼くが その音階が微妙に疑問符付きになったり
笑うように高らかに短く連続したりする。あちらは恋の季節で
こちとら人間など全く対象ではないのはよく判っていても
自然の一部である自分を取り戻せる場所だからこそ
反応は 致し方ない。いやそれを止める方がこの場に相応しくないのだ。

この神聖なる森の里には 外宮にしろ内宮にしろ
伊雑宮にしろ 精霊や神々が偏在を示し得る
何かが仕組まれている。精緻微妙な造化の妙が人々と
共に在ることができる重力組成が 既に存在しているのだろう。

世界中が この神聖なる森の この重力組成になれば 
人類はこの星で
命を繋ぎ続けることができる。

さぁ これからもっと気楽に此処へ帰ることができるようになろう。
世界中の人が いや就中 日本中の人々が ご利益なんぞを求めるのでなく
生かされている在り難さ奇蹟に 畏怖の念と歓びを
心に呼び覚ますために。 つまり命の洗濯をするために!

思い上がるべからず 思い遣り深くこそ あるべし。
大和魂が そういう大いに和する魂の発露であることをしっかり認識する
人類の こころのふるさと であり続けられますように。
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神聖なる森 [栗庵]

大型連休直前の平日ゆえに
おかげ年の伊勢参りも比較的 人出は穏やかであった。
真新しい木の香も高き新宮を拝する心持ちは
いやがうえにも神妙に自ずと定まる。
あぁ 日本人でよかった。

初日は 伊勢到着早々に 外宮参拝に赴いた。
そして生まれて初めておかげ年に伺い
御神楽奉納を一族を代表してさせて頂いた。
我が身に不相応は承知であったが 
今生この機会を逃すわけには いかない。

正午過ぎの神楽殿は 私一人だけ。
ご神官に導かれて 神楽殿に上る。
正座して榊によるお祓いを受けて 待つ。
緊張の余りお祓い(お浄め)の際に
横棒一本に二足の木製仕切り用衝立に
私は額を思いきり打ち付けていた。
痛みなどなかったが その衝立の棒を
へし折ってしまったのでないかと気が気でなかった。
雅楽師の方々と巫女さんがお出ましになるまで
私はそっと眼前の衝立の横棒を撫でて無事を確認し
ホッとした。

 篳篥、笙、鉦、龍笛、太鼓、倭琴 
御神楽の雅楽演奏師方々は
まるで絵巻物で観た事が在るような古式ゆかしき色鮮やかないでたち。
白装束に赤袴の巫女さんは 恭しく供物を目高に捧げ
おごそかな雅楽の音は 低くうねり高く跳躍を試みる。
天と地の間における気の流れを描写する。龍体であり流体。
神聖なる森に流れる造化の妙なる流れを 人が奏じて
今ひととき此処に在らしめよう・・・そういう祈りと願いが
雅楽というノートには込められているのではあるまいか。

やがて私から向かって右手の御簾を開けて ご神職が
腰を少し落として重心をしっかりと太陽神経叢いわゆる
臍下丹田に決められてすり足で風の音を共連れて現れる。
神在られる方角に設えし聖なるめどうに向かわれ
座して祝詞をとなえ奉りくださる。禰宜奉り賜る。
言祝ぐ 寿ぐ。
やや高めの声音は お出ましの際に受けた印象の男らしさと
違う。女性的とまで言わないが 男声の高音部担当ぐらい。
その言祝ぐ 一言ひとことに 子音と母音が必ずワンセットになる
日本語の美しい響きに 私の聴覚はすっかり奪われていた。
雅楽による前奏は、あの低くうねりて跳躍をする繰り返しは
この為に予め構成されていたのだろう。

 豊受大神様に 私も座して礼を示し手を打って拝謝し奉る。

神楽殿を出て御正宮に向かい 御垣内にて参拝させて戴く。
新しい神殿の屋根。華美に誇らず質素でありながらも
叶う限りに丹精込めた意匠は
「人が出過ぎたマネをせず 大自然に寄り添いお手伝いをすればよい
自然そのものの美しさに人の意と手を施すのを慎み相対する」
というコンセプトを力強く、見事に変わることなく示している。
『我は 在る である』 その静かな声を表わす意匠であろう。
我が国の本来の魂は こういう心の持ちよう とお示しでもあろう。
茶道も和食も この魂から発生しているのは当然のことなのだ。

屋根に唯一の色が飾る。黄金だ。黄金色の金具が緑陰を背景にして
陽光を受け撥ねて煌めく金色の粒子を拝する者に披露してくださる。
ホサナー! そう呟く人もいるかもしれない。

多賀宮の石段を上がり 濃い緑の懐に抱かれ頭上の太陽を
遠く高く感じる。大きな眼差しを前に 神楽殿での御榊の祓いの際に
私がしでかした不調法の詫びごとをつい申し上げてしまう。
石段をくだり 前方で少し人だかりしている亀石に向かおうとしたら
背後から こっちだよ と低い声に呼び止められ振り返る。
あぁそうだ あの奥にある小さなお社が 水神様だ。
そちらに向かうと小さなせせらぎに沿って歩くほど こっちだよの
声の主が 蛙だと明確になる。その姿を認めようとするが
なかなか見つからない。 
土宮 風宮を参拝し 参道を戻り 目が愛らしい白い神馬を暫し眺め
俗界に出る。外宮前にもできた赤福でお茶と餡子餅で一服。
倭姫宮に参拝し 初日を終え 宿泊先に向かった。

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Rimbaud is My rainbow・・・ [栗庵]

イルミナティの事をこのブログで書いていたからか
ある日 シャワーを頭から浴びていると
私の脳裏に閃光が走り抜けた。
『アルチュール・ランボーのIlluminationイリュミナシオンって
 イルミナティ(光を与える者)だっけか?!』
如何せん子供の頃から金利生活者になるんだと
決意していた天才詩人だったので 気がかりになった。

 森繁久弥氏がテレビで中也の『湖上』ポッカリ月が出ましたら
船を浮かべて出かけましょう・・・あれを暗誦されたのを観て
中学生で中也に衝撃を受ければ 当然の如く
誰しもそのままアルチュール・ランボーという彼岸に
波の背に乗り漂着は必至である。

金子光晴訳と堀口大学訳を左右に置いて真ん中に
ノオトブックを開いて フランス語なんぞ一口も喋れない
14歳のガキが 自分流に翻訳し直す、ぐらいの事も
どなた様にもお心当たりございましょうや。
長谷川伸流の『小説家になるための、小説家であり続けるために
すべき読書法』とも相通じるところがある事を
なぁんだ とっくにオイラしていたんだと 思い出す。
しかし そんな熱狂も 件の天才詩人が27歳だかで
彼の母親か妹宛に書いた手紙を読んで大いにゲンナリしてしまう。
「これから僕はひと稼ぎしたら その金利で生活しますよ
 そして兎に角健康な娘に男の子を一人産んで貰って
 その子を 僕が完璧な人間に育て上げます」
といった星一徹のような自分の叶わぬ夢を倅にお仕着せするような
文面を読んだ途端に ヴォワイアン(見者)の手紙は
どうなっちまったんだよ と興ざめ、法華経の如来寿量品偈頌の
『仏語実不虚』という詩句を叩きこまれていたので
フランス語だけは習得しなくてはならないという志も萎えたのだった。

しかも 同じ1854年に生まれたもう一人の見者・シュタイナーに
私はのめり込むことになる。なぜなら天才詩人ランボーは同時に
予知能力というSPECを保持した見者でも在ったのだが
途中でそんな事は抛りだし、ノストラダムスの後釜に座る義務だか宿命を
回避してしまう。彼が回避しなければおそらく オーストリアの
裕福でリベラルな家庭に育ったルドルフ・シュタイナーは
ゲーテの植物研究に関して生物学者として監修しただけで終わっただろうに。

そして宇佐美 斉・京大教授のランボー全詩集がちくま文庫にあったので
改めて Illuminationイリュミナシオンを読み返し 
あぁ やっぱり ランボーは 光りを愛する者派だったと
安堵した。そして 堀口大学先生は かなり飄々とランボーが
預言者才能を保持していたなんて事を 書かれているのを
発見して この人の刷り込みだったんかいなと 金子光晴先生訳と
ごちゃまぜに読んだツケが変な所で回ってきたもんだと
自分を嗤ってしまった。

 宇佐美教授訳のこの文庫版のランボー詩集には
ランボーの福音書に関する文章も収録されている。
なぜか共観福音書でなく、ヨハネの福音書のみを
16歳の少年が解題を試みているのだが
それはまるで ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくる
一大叙事詩【大審問官】に迫る勢いの散文詩になっていた。
アウフーベンしまくりの散文詩!
更に12歳ぐらいで書いたギリシャ語とラテン語を呪詛する
少年の告白を書いたコントも 私は初めて読んだが
今時の日本の小説家で此処まで活き活きと
クラスメイトの大方の心情を代弁してみせる文体を
サラリと書ける人がいるんだろうか と思うぐらい
ガキンチョの悪戯書きとは思えない程 巧みだ。
そして 既に金利生活者になるんだと書いているから
パリコミューン前夜のフランスでは こんなガキどもが
口癖のように金利生活者になるんだと 云っていたんだろう。
この早熟なる天才ぶりは ラディゲより上を行っていると
私は 思った。『肉体の悪魔』なんて少女漫画みたいじゃん。
いや筆が滑った! 私の此処でいう少女漫画とは
私がガキの頃 姉が買ってきた『りぼん』とか『少女フレンド』に
掲載されていた頃の少女漫画の事を指している事を
ご了承頂きたい。

 私が8㎜映画でランボーの『永遠』 
とうとう見つかったぜ 何がさ 永遠 海と蕩けちまった
太陽の事さを使ったのは 未だ観ていなかった
ゴダールの『気狂ピエロ』からの剽窃であり
その映画に『物語~レシ』と題し、同じく未だ観ていなかった
ゴダールの『女は女である』の自転車シーンを剽窃してしまったのは
私が ある種の天才だったからそうしてしまっただけのことだが
今となっては そんな事はどうでもよいことになっちまっている。

そして。
Illuminationイリュミナシオンの冒頭を飾る【大洪水のあと】が
私の脳内の無意識領域辺りに沈殿していて
私は このブログに
アセンション後のこの地上時空を夢に見てまで書いたのだろう。
なぁんだそんな事だったのか とホッとしかけたのだが
しかしなぁ アルチュール・ランボーはこの時までは
ノストラダムスの後を継ぐ自覚があったんだっけ?
全開だよね・・・・霊眼。という危惧と

何で今更、ランボーなんだってのが どうしても気になるわけで。
【大洪水のあと】は ノアの方舟の時代を描写していないことは
確かなんですよね。それ以外の詩は言葉の錬金術師が
サゼスションをふんだんに潜ませているいるらしいのですが
そんな解析をこの天才詩人の作品に対して誰もしやしない!
ひょっとしたら 70歳まで生き延びたシュタイナーは
何やら読み取っていたかもしれませんがね。

※ちょっとボルヘスの真似をしてみました。すいません♪


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春cabbage [栗庵]

春は子供の頃から苦手だ。
花粉症なんて病名が無かった時代の私の少年期にあって
全く憂き世と霞む花の仕業で瞼が膿み腫れたり
寝起きに冷たい水が鼻腔の奥から目を抜けて
頭痛を起こして不快が続くからだ。
咳もクシャミもひっきりなしで 春を愉しむ余裕なぞ無かった。
いやはや全くわが世の春とは縁遠い。

しかし今年は少し具合がよろしい。
春一番が吹かないのは2000年以来らしいが
杉林も こう地殻変動を今にも起こしそうな気配が
張りつめる大地で 今更種の保存など如何ほどの
意義があるか躊躇っているのかもしれない。

ところで。
以前『ゴダールが映画を撮るように小説を書く』などと
大言壮語したのだが グレイスキンを書き上げると
そのようにして小説を書けるかどうか判らないけれど
またぞろ アドリブ小説を書きたくなっている。
いやそれより『安眠屋』だとも思うのだが
如何せんそれなりに構成を固め少し長めに物語る予定となると
エンジンの回転数が安定するまで ちょっと吹かしてみたくなる。

以前は『ネギ焼屋のバイロン』という短篇を
大阪の江坂に実在するネギ焼屋を舞台にして書こうとしていたが
大阪弁で台詞を書くのも面倒なので
いっそのこと 東京で最も大阪っぽい街である蒲田
舞台に変えて 出奔した大阪人がやっていたネギ焼き屋に設定し
蒲田だと長老派教会の牧師が物語に登場しても地理的に無理もなかろうし
松竹蒲田撮影所の跡地辺りをロケハン?するのも容易い。
などと思い定めるような今日この頃。

と 唐突ですが 下手(ゲシュ)なる発句を 以下、羅列します。

新橋界隈の飲み屋さんで句会を統べる、我が早大シネ研時代の同輩
雅宗匠?殿よ このブログを未だ読んでいてくださるのなら
コメント欄で こき下ろしてちょんまげアルザンス♪

一、 春カベツ 凍土を分けて 甘味かな

二、 春カベツ 寒さに耐えた 甘さかな

三、 旬カベツ 噛めば噛むほど 冬よ去れ

四、 沈丁花 その香かぐわし はな抜けん

※ ちなみに 漱石先生は 英国帰りだったが
  cabbageをキャベジとか表記しなかった。
  「カベツ」と日記にも書いている。


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栗庵流人・新帳~その100 [栗庵]

さて。栗庵流人・新帳も100日めです。
では 書きます。
ピーター・ドラッカー曰く
と大上段に構えて ガックリさせるのが 「オチ」?
「マーケティングとは 生活者の満足を創造することである。
 生活者の側から満足を考えることである」
ということで
私は電子辞書を発売当初に買って重宝しているのだが
最新のも 更にコンテンツは深化してはいる。
だが 相変わらず『重い』。これだとiPadの方に分がある。
そこで 以下のようなiPod(音楽再生機の方!)をカンニングしつつ
名刺又は タスポやイコカより少し大きめでポケットに入るサイズで
厚みは5ミリを目標に!
但し『英和辞書』など外国語・辞書限定です。
(コンテンツの深化は追究すればするほど著作権料を含め単価を高くしますから)

minidictionary.jpg

●付属のペンでスペルを一文字づつ入力(入力専門の窓で!)
液晶窓で表示も大きくできる機能は欲しいですねぇ
●できれば 付属のペンのおしりには活字
 10p~14p程度を印刷物からならなぞって入力できる機能
USBで電気は蓄電・・・これがあればパソコンに繋いで「辞書ソフト」は
 ダウンロードで購入ということになるかな?
●国語辞書や和英辞書だとローマ字入力で変換機能が内部ソフトにないと駄目かな?

などと 思いつきを描いてみました。
これがあると 英語の文書を気軽に読めるなぁ
という 生活者の満足を創造してくださる企業はないでしょうかねぇ~

☆あんまりアップル系だと 訴訟問題がキツイかもしれないので注意でしょうが。
☆『ご連絡は このブログのエイシュンプロフィールのメルアドから』
 と とりあえずは 書いておっこうっとぉ~♪


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栗庵流人・新帳~その99 [栗庵]

昨日でとりあえず書き終えた短篇ですが
高校時代栗庵流人名で まぁ日々雑感やクラスメイトの失態やらを
回覧ノオトにスケッチするように書き連ね やがてそれらを纏めて短編小説化して
書き纏めるなどという事をやっておりました。
それを40年近く経って繰り返してみたわけです。
それゆえ「新帳」というサブタイトルを付けた次第。

異星人の話を書いている最中に
女優の淡島千景さんが亡くなられました。
慎んでご冥福をお祈りいたします。 合掌。

淡島千景さんといえば 私は
まず 小津監督の『麦秋』と『早春』を思い出します。
『麦秋』では 料亭の跡継ぎ娘で 原節子演じる「紀子」の
女学校時代からの親友という役でした。
戦後の焼け跡から奇蹟の復興をしていている最中の我が国の姿を
背景に 北鎌倉や新橋を舞台に 淡々と物語は進み
原節子の「紀子」は 近所に棲む次兄の親友で病気で妻を亡くした
小さな娘もいる男と結婚をするまでを描いております。
淡島さんが「紀子」に 言う
「私は あんたなんか 芝生の御庭があってキッチンには
 冷蔵庫なんかあって あたしが訪ねると あんたが
 ハローとかいっちゃって ショートケーキいかが なんて
 そんな結婚すると思ってたわ」
とかいうシーンが大好きでした。この映画におけるショートケーキと
あんぱんが引き起こす人生の機微というのが 流石小津安二郎なのですが
まぁ それは蓮實重彦先生の『監督小津安二郎』でどうぞお読みください。
これぞシナリオ解析と申すべき 見事な分析です。

そして『早春』では 池辺良の妻役で淡島さんはご出演されています。
正直 私は淡島さんの方が 岸恵子さんより美人だと思うタイプなので
どうも この火遊びぶりが しっくりこず 淡島さんの美しさに
ただ見惚れている映画でした。
役柄としては 嫉妬でキリキリしているはずなんですが 
シナリオと演出がそうだったのか 淡島さんが演じるとそうなってしまったのか
寧ろ狼狽えるのは 若い岸恵子さん演じる「きんぎょ」の印象が強い。

「東興園のシュウマイライス」なんていうシーンもありましたねぇ。
「我が身を抓って 人の痛みを知る、つまりセルフエグザミネーション」
という 変な英語がでてきたり。
self examination・・・そんな英語は ございませんでした。念のため。

花粉の季節が参りました。さぁ 目はショボショボするし
明日は ショートケーキかあんぱんを喰うかなぁ
などと めっきり今日は抜け殻状態でございます。


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栗庵流人・新帳~その89 [栗庵]

今の街から美術館に行くには
電車に揺られて行かねばならない。
以前は東京都現代美術館に歩いていけた。
深川と両国の江戸資料館なんてのにも歩いていけたので
歩き回るのも張り合いがあった。
今の街はただ坂とお寺ばっかりでどうも
歩くのも疲れる。川端龍子ばっかりでは飽きる。
文士村といっても あの三島邸もなくなり
せいぜい図書館の文士村コーナーでため息をつくだけだ。

貴船坂という古代史的な場所がある。
市ヶ谷の自衛隊駐屯地へ三島さんがタクシーで
向かう際もこの坂を抜けて行ったそうだ。
そしてその坂の上から下る先を眺める。
なぜか既視感が立ち昇る。
あぁそうか! 小津安二郎監督の『東京暮色』だ!
原節子と有馬稲子姉妹、笠智衆の父親が
この坂の途中あたりの家に出入りする場面だ。
『東京暮色』は モノクロ映画で内容も暗かった。
原節子はなぜか顔を覆う大きなマスクをしてばかりいて
小津らしからぬ気配が漂う。一方終盤において
蒲田で電車事故で死んでしまう妹を演じた
有馬稲子の美しさが際立っていた。
蒲田は元々小津監督にとって青春時代を過ごした
撮影所の街だった。しかし『東京暮色』の蒲田は
陰鬱でしけた街として描かれているように記憶してしまうのは
麻雀屋とぼろい中華料理屋しか出てこないからだろう。
そして今 私が時々乗る池上線が この映画のラストで
悲劇の現場になるのである。そして坂ばかりの街と
原節子と3歳しか齢が上でなかったのに
その実母役を演じた山田五十鈴がすっぴんで出演している。
山田五十鈴は 「原さんと3っつしかちがわないのに
あたしが母親役。後妻なのかなと思って小津先生に訊いたの。
そしたら いや ベルが産んだ娘って ニコリとも
しないで仰るのよ」という証言を読んで 小津がニコリともしなかったのが
寧ろ納得できる。それほど山田五十鈴は抜群の演技力を見せつける。
原節子との母娘関係を見事に演じてみせる。
小津は 山田五十鈴の演技力と有馬稲子の美貌を際立たせるために
大スターの原節子に大きなマスクをさせていたのかもしれない。
そういう残酷さを 田中絹代は ショーケンにこう証言したのだろう。
「溝口監督、小津監督 この二人は人の魂を喰ろうて映画を撮りました」

あぁ美術館に行きたい。とくに東京都現代美術館に。
あの建物自体が懐かしい。
上野の西洋美術館や芸大美術館、都立美術館もいい建物だ。
しかしどうしても六本木の新国立美術館は 居心地が悪い。
村上春樹さんの『ノールウェイの森』に、あの美術館からほど近い
龍土軒という戦前から有名な西洋料理屋が出てくる。
二・二六事件の青年将校たちが密議をした店だ。
だからというわけでなかろうが どうも 落ち着かない気配を
六本木の美術館には感じてしまうのかもしれない。
三島さんもその西洋料理屋に足しげく通っていたと記憶している。

 佐多稲子さんの本を文士村コーナーで立ち読みしている時
いきなり 「おいっ!」と野太い声に背後から急襲され
私は凍りついた。しかも私の名前もおいっ!の後に付いていたので
誰だ?!と振り返った。すると 私の目に入ってきたのは
『豊饒の海・奔馬篇』だった。

貴船坂をだらりと降りながら 小津が何故『東京暮色』を撮ったのか
なぜ 私は わざわざ この街へ引っ越して来たのかを
交互に思索してみたりした。 
所詮 縁だからな。えにし。にしえにしえと人はむかふ。
誰だっけ そんな詩を書いたのは?


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栗庵流人・新帳~その88 [栗庵]

恵比寿にモスドがいよいよ開店ですか。
単なるメニューコラボでなく 遂にお店ごとコラボですね。

ミスドの働きさん文化とモスバーガーの合理的な調理教育システムの融合。興味深い。

モスバーガーさんには 26歳の時に
『ビリー☆ザ☆キッドの新しい夜明け』制作時
協賛を飛び込みで依頼させて頂いたことがある。
パルコ側が乗り気にならず 若造の私の飛び込みにも
ご親切にご対応頂いたのに真に申し訳く そして残念なだった。

そして ミスタードーナツさんとは
43歳の時 懸命に「オマケじゃなくてドーナツのおいしさを
伝える事に集中しましょう」を説得し続けたが
全く不可抗力なる事態に当時のミスドさんの経営陣ともども
捲きこまれて 中途半端になってしまった。
しかし此処にきて(十年の月日が流れてしまったが)
ミスドさんも 「おいしさ」や「ドーナツのある暮らしの愉しさ」を
タレントに頼らずに 食品広告における
王道のスタイルを広告で展開されている。感慨深い。
 江坂のクライトンホテルの朝食をゆっくり食べたかったことを
 時折思い出す。

新橋の土橋の高速下から 銀座7丁目に向かうあたりで
モスバーガーさんとミスタードーナツさんのアンテナショップ的な
店舗が並んでいる。どちらも新しいメニューやサーヴィスを試すために
存在しているようだ。

いろいろなことがあったなぁ。  十年前の週4日大阪生活ってのは
辛かったが 今なら寧ろ気楽にできるんだが・・・まぁ巡り合せというのがあるものですねぇ。
これからどんな巡り合せがあるのやら無いのやら。

ところで ソフトバンクの八犬伝じゃなくて白戸家のCМで
樋口可南子のオッカサンが ホームステイの女子高生を紹介するとき
どーしてお玉を片手に持っているのだろうか?
これも此処のCМに囁かれる都市伝説、サブリミナル効果が隠されている?
お玉・・・で 何を刷り込む気なんだ?
単なる演技上の小道具としての演出だとしたら余りにもお行儀悪いだけですよね。
テヘペロとかの言葉はどうでもよく あのお玉にこそ意味があるんじゃないかな?
ま ちょっと冗談ですけどね。


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栗庵流人・新帳~その87 [栗庵]

なぜ フリーエネルギーに拘るか?
だって 世界の戦争の原因は
エネルギー問題でしょ?
植民地帝国主義以来 人類は石炭、石油
そしてウランといったエネルギー原料を求めて
殺し合いをしているわけだ。
実のところ宇宙開発だって その欲望の果てにある。

想像してほしい。
もしも電気代が無料になったら 産業界も個人生活も
大きく変わることを。Co²問題も無くなる。
ガソリン代 灯油代も無くなる。
しかも電力が発電所などでなく各個人の家庭に発電装置だったら?
地震が有ってもライフラインの問題は大幅にリスクを低減する。
水道だけだ。飲料水と下水の貯め水が行政の智慧になる。
食糧の備蓄があっても電気ガスが寸断されたら
カップヌードルも能力を発揮できない。米を炊く事も出来ない。

通信費の原価の何割が削減できるだろう?

戦争は最大の消費である。 厭な言葉だが 産業革命以来
人類はこの厭な言葉に歴史を支配されていた。
しかし 日本が戦争放棄を掲げ 経済大国になった。
だからこの言葉の息の根を止めかけていた我が国が
凋落失速してしまうのは 人類の命運にも関わるのである。
あの厭な言葉に息を吹き返させてはならないのだ。

とはいえ 経済大国・・・でいいのかな?
経済大国=クレジットカードで消費しまくる貪欲種族国家
それでは どうせ行き詰るのは 目に見えている。

法華経、とくに観音品では欲を棄てろなどとは説いていない。
ただひたすら恐怖心を棄てろとある。
だからといって 私利私欲にまみれろなどは説かない。
他利多欲になっちまえである。どうせ欲で動くなら
てめえの利欲だけに止まらず 周囲に利を波及させるほどの
心の豊饒を願えとある。その時はじめて我欲がカタチを持てなくなる。

自分だけ仕合せなんてことはありえない。
この言葉が自然に国民の口から立ち昇るようにならなければ
消費税を北欧並みにしたところで 北欧並みの福祉国家にはならない。

さぁ 大変だ。お笑い芸人やアイドル崩れに 小説映画の市場を
任せていては どーにもなんないぞぉ!と
いびつな事大主義でわが心を 鼓舞してみたりする。


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栗庵流人・新帳~その86 [栗庵]

デァゴスティニーの『Blue Note Collection』は
隔週刊でしたね。Sonny Rollinsが第3巻。
Asiatic Raes
Decision
The Surrey With The Fringe On Top
You Stepped Out Of A Dream
Namely You
毎号 収録は計30分ぐらい 。
ここから 波及して名盤、名曲を漁るように
雑誌の方は 掻き立てる。巧い商売っすね。
ただ デァゴ社にお願いしたいのは
アートワークをダウンロードできるともっといいな。
単なる雑誌用のBLUE NOTEロゴとそれらしいレイアウトだけでいい。
写真は肖像権版権ともに煩わしいでしょうからね。
誰を代表させるかでも 大いにもめるし。
まさかアルフレッド・ライオンの顔・・・・奇抜かもしんないけど。
次号は Art Blakey 再来週 Mosaicかぁ 買おう。
それと そろそろ CDとかDVDものは あのかさばるパッケージ
鞄に入れて嵩張らないような大きさにしてほしいものだなぁ。
雑誌もB版であるともっと嬉しいけど コスト高かな?
そも この手は電子書籍で販売した方が 買い手売り手とも効率的かな?
おそらくそのご検討をされてらっしゃるだろうけど。

iPodにこのシリーズを入れておくと
最早 このプレイリストしか聴かない状態になりますな。
時々Nat "King" Coleの『MONA LISA』を聴くとオツだったりする。
Gouldかフジ子ヘミングに変えるけど すぐ戻ります。
今しばらくは その状態でしょう。
カート・ヴォネガットも アメリカが誇れるのはジャズだけだと
書いてましたけど まぁ そうともいえなくもない。
後は フォークナーとヴォネガットの小説と ウェルズ、ホークス、フォード
グリフィス、ウォルシュの映画作品ってのも誇れるんじゃないかな
いやいや 冗談です。キャンベルスープやポール・サイモンとボブ・ディランの
詩もある! それも冗談です。

ただ原爆と原発と超X線による地下核実験
世界金融市場至上主義資本主義 これらが この世界をクソッタレにしているのは
冗談じゃなく 誰しもご同意なさいますでしょうかしら?

ジャズを超える アメリカが世界に誇れるもの
そう あった! 
宇宙のフリーエネルギー装置を全人類に無償開示だ!
それを TPPで日本が誘導していくのか・・・やるなぁ 
もしそうだったら 日蓮聖人以来の千葉出身の偉人になれる野田さん。

ちょっと私のブラックユーモアのセンスないなぁ
・・・こらまたしっつれい致しました!


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