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悲しいけれど書きましょう [天命庵]

かつて CWニコルさんが 熊野古道を行脚する番組で
涙ながらに仰った。
「日本の神道は なんて大らかなのだろう。
 なんと 寛容なのだろう。
 宗教とは とくに民族的な信仰には
 排他的な 不寛容さが 独善をして
 露わになるのだけれど…あぁ 美しい
 この地球という星と一体化するという
 強い意志が おおらかで 優しい。
 この優しさは 強くて 本当に美しい」

クジラを研究していたニコルさんは 
日本人のクジラへの畏敬の念を以て 
捕獲する姿に感動したという。
欧米の鯨捕りが 脂を取ると 鯨の亡骸を
棄てていたのに対して 日本人は
余す事無く 食用や生活用品へ活用し
鯨の骨を 大切に神として祀る姿に
素朴だが 思い上がりを厭う 心に
ドンドン惹かれていったそうだ。

お経が呪文ですって?
釈尊の教えを漢訳しただけです。
漢文が苦手だった人には単なるチンプンカンプンなだけです。
勉強不足を棚に上げてはいけない。
祝詞を現代語訳無しにすらすらと理解できる人
いらっしゃっいますか?
私は大祓詞をひらがなだけの時はサッパリ理解できませんでした。
万葉集は 漢字だけで表記されていますが
未だに現代語訳どころか 意味すら解き明かせない詩が
たくさんあります。
ちなみに万葉集よりも ずっと前に
法華経の漢訳は完成しており、且つ万葉集にも影響を与えています。

陀羅尼=真言を 悪用する輩は 全く許しがたいですが
国家鎮守を目的として、天才・空海が
命がけで 持ち帰った経典の一つである般若心経が
呪文ですって?
漢訳のお経を唱えると運が落ちます・・・。
そんな愚かな事を騙る神道を標榜する者がいる。

それに倣ってか? 天命庵も 堕ちたものですね。ガッカリしました。
なんの目的を持って ブッダガヤに行かれたのか・・・と質したい。
天命庵は 神道13派の一つである天理教の傍系ですが
ニコルさんが 憧れた神道の大らかさとは全く 
逆の 不寛容さ 独善性を示し始めているということでありましょうか。
そういう不寛容さや独善性こそが
私には 余程 「呪詛 悪霊」の権化と映ります。
それで 都合のいい時には 
観音様だ 弥勒菩薩様ですか?

生かして頂いてありがとうございます。
そんなことは ましな親の元に生まれ育てば
この国であれば 生まれたときから教わるものです。
いや 欧米でも 食前の祈りの言葉にあります。
無知蒙昧に 無料で説けば 霊的垢は付かない?
冗談じゃない。立派に霊的な垢を付けまくっている!
親様も こう仰せですよ。
『ただより 高いものはないんやで』とね。
勿論 親様は 此処の簡単な教えを実践しなさいと付け加えるだけですが。
それほど 天命庵の簡単な教えすら実践できないものなのです。

そして。
日本語は便利です・・・但し 漢字ありきですよ。
仏教を 仏のおしえと訳した方が分かり易い。
しかし いちいち仏の教えと言えないときもあります。
お経は釈尊の教えの漢訳にすぎません。
仏教=ぶっきょうと 日本語発音もありなのですから
あのように敢えて白文のまま 日本語発音で唱えているだけです。
一方において、古代日本語は まるでサンスクリットのように
意味不明なのも事実であります。
祝詞にも チンプンカンプンな部分は幾らでもあります。
能の詞も同様です。あれも呪文ですか?
読経の影響を受けて洗練させている文化芸能ですが
能も危険なのでしょうかね?
ちなみに 山田風太郎さんは 能は タイムマシーンのような時空超越機関になる。
そういう発想で素晴らしい小説をお書きになっています。

おふでがきなど 神言語が紛れ込んでいてスラスラ理解できる人なんて
そうざらにはいないでしょう。
又 あの十二下りのおてふりだって 意味不明の呪文みたいなものでしょう?
親神様へのお勤めだと言って 意味不明だけれど 天命庵でも 
やや憑き物がかって懸命におやりです。

 
お経を読むのを 「おつとめ」といいます。
おやさまは 中山家に嫁ぐ話が持ち上がった当初 
尼僧になりたいという望みを叶えたく 拒んだとあります。
中山みきさんは 敬虔な仏教徒でした。

執着をほどけ ほどけ と仏の道。
仏という字を手編にすると 払うになる。
だから おてふり・・・そう天命庵では教えますね。

日本語は 漢字という外国語をも 見事にその発祥の地よりも
おほらかに 融合して巧みに使うのです。
だから 空海弘法大師は 玄奘三蔵訳の『般若心経』を
そのまま あの「ガテーガテーパラサンガテ ボデスヴァハー」という
怨霊退散用のサンスクリットを残したままのお経として
衆生救済のために流布を進められました。
真言宗の真言は 今でも我が国を鎮護する役割を担っております。
天皇即位に その秘儀は 継承されております。
日蓮は 陀羅尼・真言をひとまとめにした法華経・陀羅尼品を
いちいち衆生が暗記しなくてもよい、南無観世音菩薩だけでなく
南無妙法蓮華経と唱えれば 陀羅尼品も含めて霊験はあらたかなりと
示されたのではあるまいかと私は思っております。

この世は 目に見えない存在で支えられています。
我々の免疫システムは 腸内細菌や肌の常在菌のバランスによって
健常を維持しようとしています。それを科学言語で解明しようとしても
なかなか了解できないでしょう。神や仏の言語でも解明とまでは至らぬでしょう。
しかし 我々は そういう自意識を超越した自己を
どんな愚か者にも賢者にも等しく賦与されていることは確かなのです。
それを説いているのが 法華経でありましょう。
たとえば 観世音菩薩の徳です。それを観自在菩薩と訳しなおして
般若心経で玄奘は砂漠の魑魅魍魎を退散した体験を通して
後世に伝えたのでありましょう。
帰国後 嫉妬に駆られた中国仏教界でスパイ容疑の濡れ衣を着せられ
長い年月幽閉された怨みが 玄奘にあったことは確かです。
だからといって 衆生救済を発願し、命を懸けた者が
その怨みを般若心経に込めるわけがない。
私は 素直にそう思う。私は 霊やらがたとえダークマターの正体であろうとも
私は 人間の良心で判断できる方を信じたい。
●目に見えないから、
●アカデミズムの承認を得ていないから、
●神霊との繋がりがないから、
何かを信じないのではない。
人間としての当たり前の良心で判断するだけだ。

目に見えていても 手品には結局騙しがあり 
どんなに見事なペテンであっても ペテンはペテンでしかない。
アカデミズムなどいつでも修正・変更されてしかるべき存在であって
その修正機能を誤魔化したり、亡くしてしまえば
西欧中世のキリスト教暗黒時代と同じ 単なる権威主義にすぎなくなる。
神霊の加護を得る者なりと言ったところで 先読みの確率が高いだけで
天変地異を独力で鎮める能力などあるわけもなく
せいぜい神霊の道化師ぐらいのものだ。
彼ら神霊の道化師は 
神霊の奴隷たる無知蒙昧どもより自分はマシだという自負を抑制するのに
さぞかし躍起だろう。

私は 良心に従って理路を整然とさせる己の思考の力で
可能な限り歩み
我が良心が湧き起こす、勇気という感情の風を頼りに進むだけです。

般若の面は 女の嫉妬を現わす怨嗟の面が本当の名前です。
但し その面を拵えた僧が 般若心経しか唱えられない「般若坊」という綽名があり
そのために 般若の面と通称されたという説が有力だそうです。
般若湯とはお酒のことです。依存しすぎれば なんでも
うつ病や統合失調症を誘発します。

話を戻しましょう。
般若心経は 短いからこそ奥が深いだけです。
以無所得故 菩提薩多 依般若波羅蜜多
これが呪文ですか?
無所得とは 執着は無いという「空観」を以て
故に 菩提薩多という悟りの境地に至る
それは結局 あの壮大な宇宙の創造原理たるパンニャパラミタの智慧に依るということだ。
このように和訳をすると唱えるのが大変ですし記憶しづらい。
わずか276文字の漢字の連なりはシンプルです。だからこそ 解釈の広がりが
絶妙に広がるのです。そして あくまで この般若心経は 観音様の「空観」という
執着を巧みにコントロールするための方法論を明らかにしているのです。
なにせ 本文中には 執着を無くすという執着もある という一節があるほどです。

 敢えて 全ては思い通りにならない=「空」だ と見做し=(観じ)
その「空」ゆえに何がどうなっても受け入れられるしなやかな強さを心に設え
ビクビクしたり 慌てたり オロオロしたりするなと説いています。
苦しみだって 何かが思い通りにならないから苦しいと感じられるだけで
そもそも 執着をある対象から外してみれば 苦しみは和らぎ消え去る。
あの無い無い尽くしのお経は 繰り返しそれを言い聞かせているのです。
ほどくほとけの妙智力は観音様のお得意技です。
悪霊たちから受ける執着、生霊たちから受ける執着 
それらすら解き、ほどく!という宣言です。

信じきれ!不動明王はそう睨みつけておられます。
仏の教えを信じきろうとする者を誑かす悪霊に対して
不動明王はあの鬼の形相で退散を引導しています。
だから 悪霊に憑りつかれた者は 不動明王や般若心経を懼れるのです。
海老蔵は 祖先の団十郎がその目力で不動明王の如く振る舞い
演じるという本筋を忘れ 安直にお不動様の加護があるから
おいらはどんなに横暴に振る舞っても大丈夫だとでも思いあがったのでしょう。
仏法に帰依奉る者が 思い上がれば 袈裟の色に関係なく
この世の地獄を無間に歩むことにもなるというのに・・・。

ちなみに 釈尊の次に8代目のサーハー(娑婆)世界の仏陀となることを
授記された 弥勒菩薩は 僧侶として修業中に増長慢に陥るような
問題児でした。それでも
釈尊ご入滅して5億6千7百万年後に 菩薩行を完成させ
この世の如来になられるのです。
釈尊が 亡くなられてから 今年でせいぜい2600年ぐらいですね。
弥勒菩薩のご修行は まだまだ続いている最中です。


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なるようになっていると信じる力 [天命庵]

4月18日は 天命庵では おやさま、中山みき様のお誕生日を祝うおまつりの日でありましたでしょう。

日曜でしたし 久方ぶりの好天気。さぞかし人出も多く 初めてのお運び方々は 驚かれたでしょう。

そこで今朝方 ひさしぶりに 存命の親様のお声が聴こえてきて起き抜けに・・・ 

天命庵にご興味ある方は ここを押して 続きを・・長文です


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ユウリイカ!かもしれないが・・・ [天命庵]

平成21年5月8日・・湯河原・天命庵教えの日。
伺うべきかなぁ・・・とりあえず目覚ましをセットしていた。
東京は珍しく5日の子供の日から雨が続いている。
朝 マクラを誰かが蹴飛ばしたと思うほどの
轟音を立てて雷が上からガガアーンと来て
はね返りが下からズッシーンとした。
吃驚して目が開いた。しかし真っ暗闇である。
「いいや 今日は『グラン・トリノ』を品川で観る」と
怠け心が出そうになると 目覚まし時計と携帯の目覚ましが
重奏して狭い部屋の闇を裂く。もう一発雷が閃光と轟音で
ダメ押しである。へどもどいいながら 湯河原へ向かう。
部屋を出るとき わが部屋は陽光に満ち満ちていたので
つい傘は軽くて小さいのをカバンに入れた。
ドアを開けて戸惑った。黒く重い雲が空を覆い
一箇所だけ太陽がギラギラしていただけだったのだ。
さて。
湯河原は 小雨がパラパラ程度で 傘は小さくて正解。
時折 太陽と青空が 濃く重い雨雲を押しのけていた。
姉のためにちょいと天命庵の「ご神水」を頂戴したかったのであるが
幸い 姉はもう全快している。どうも 此処のところ そういう用件がないと
伺わない己の態度に引け目を覚えながらも 二階のご神殿に拝す。
あれ?きんきんキラキラの新しい観音様像が鎮座ましまして・・・。
へぇ キレイだね♡ と不心得はいつもながらも
いつもの小さくて黒くて健気な観音様に南無観世音菩薩を称名し
礼拝供養の態をできるかぎり奉り候。
午後席で おやさまはこの黒くて小さな観音様は
皆さんの心の汚れを吸い取ってくださるから
黒くなってるのですよ とおしえて頂く。ありがたい!
そして 300年後には
「平成21年の5月8日 白鷹がこのおぢばに
コウカ観音様をお運びあそばした」 なんて伝わるんです
と冗談交じりに仰った。
コウカ?意味あざなを 傍にいらしたお世話役さんに伺おうと
筆談を申し入れるが 小さなノオトをボクが差し出すと
スーッと何か御用が出来て 傍から離れてしまう。
★あのぉ どなたか 漢字で「こうか」とはどういう意味で
記されるのか ご存知の方は コメントしてくださいませ★
コウカ観音様はすなわち弥勒大御神様ということは 聞き取れました!
ミロクオホミカミ様です。弥勒菩薩様はこれから末法の世を
釈尊以来の大いなる仏陀として現れると授記された菩薩様ですね。
にしても 白鷹というのが 素晴らしいですなぁ
ボクは白鷹ソースの外孫ですぞぉ・・・しかしボクがお運びしたのではないですぞ!
さらにおやさまは 「世界ろっくに」という神の柱として立たれた際の
お言葉を 「ろっくとは 平らかにするということやで」とおしえてくださった。
そうか プレスリーとローリングストーンズやサディスティックミカバンド、
大徳寺さんともご縁の深いRCサクセションをドンドン聴きなさい!
そうすれば世界は極楽や!・・・・・・じゃないのかぁぁ 
と少し残念な気がした。これからボケ防止にエレキギターを習おうと思っていたので
そうかぁ ロックは世界を救うと ゆうてほしいな おやさま と思うのでありました。
そんなかんなで 雷で叩き起こされたわりにボヤケた頭のまま
お水も頂戴して 五所神社様に 御礼をしました。 以下の景色で
小生の『リヴァース・ショット』という小説には大事なシーンが・・・ねぇ。
五所神社.jpg

あれ?なんでカメラ持ってるんだ?といきなり気付き
あの神々しい観音様を拝見した際にカメラを持っていることに気付かなくて
ほんとによかったと思いました。気付いてたら 思わず撮影してしまったでしょう。
しかし 観音のお導きというのは 帰りに在ったのでございますよ。
東海道線東京行車内、川崎で京浜東北線に乗り換えるにあたって 今日のおはなしを
メモろうとしたら 不図 頭にある絵が浮かんだ。
此処のところ 伊勢白山道さんとバシャールで 『目を覚ましていなさい』という
イエス・キリストの言葉が気になって気になって仕方なかった。
そのマタイ伝25章に出てくる花婿を待っている10人の花嫁のたとえ話
エドガー・ケイシーが解説した文章を猛然と記憶装置から引きずり出そうとして
仕事をしていても つい思考作業がそちらに行ってしまう。
絵が出てくるが どうもいま一つハッキリしない。だが
帰りの東海道線車内で ハッキリとボクの脳内で像が結ばれた!
ユリイカ!と生まれつきの詩人ならば叫ぶ瞬間です。
20分ぐらい必死で絵と解説文を組み立てたが 猛烈な睡魔に襲われる。
意識が薄れ 気が付けば辻堂で目が覚めた。
その一連は 数日後に このブログに記してみます。

蒲田で池上線に乗り換える前に 神田万惣(通称;くだまん)の暖簾わけ
みたような喫茶店が駅ビルにあるのでホットケーキを喰らい
この 二枚のホットケーキが こう ずれて 螺旋の動態として
造化の妙になるわけだよ・・・とほぼ 気が狂っている状態。
そして 池上から我が家を目指すと 雨上がり、以下の如く 虹が・・・・。
本門寺下二重の虹.jpg

虹がさす本門寺下より.jpg

珍しいでしょ。虹が雨雲の濃いグレーバックの御蔭で
こんなにくっきり撮影できてしまうのも。しかも数分 二重でした。
本門寺さんの大堂から南の空へ向かって架かる虹でした。
瑞兆だわなぁと 気が狂っているかもしれない小生は シャッターをきりました。
驚いたことに 我が小部屋に入ると 途端に強い雨音が堰切るごとし・・・。
部屋に入るまで西の空は蒼い天蓋が大いに広がっていたのですよ。
観音のお導きとは そういうものでありましょう。
おやさまも命様も そして伊勢白山道のリーマンさんもゆうておる。
「南無観世音菩薩はホンモノの真言だ」と。
空海弘法大師は 「妙法蓮華経とは観音の徳を説く顕教なり」と。


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遠く離れて・・・ [天命庵]

おやさまは こう呟かれた。
「此処へ これんようになる者もおる・・・。
それが 一番哀しい・・・
せやけど そうはゆうても いつか
帰っておいで。そうや・・・此処は魂の故郷やで」
今年の春の御霊祭における 午後のおはなしで
遠くを眺めるようにして。
果たして ボクは爾来、やはり伺えなくなる者の一人だったようで
半年ばかり足が遠のくばかりです。
その呟きだけが 妙に 鮮明に心に残ったのは
やはり おやさま特有の語りかけの妙技なのでしょう。

湯河原から天命庵に向かうと 大きな大きな樹が聳える
五所神社様があります。『となりのトトロ』に出てきた
お社とよく似ています。
16年前 はじめて天命庵に伺った時から
五所神社様に参拝して 湯河原駅へ向かうのを常としました。
そしてお社へ続く長い石段を舞台に ボクは『リヴァース・ショット』という題名の
少し長めの小説を書かせて頂きました。ワンシーン、主人公の
伊勢実時と丸山和子の宿命を暗示するために・・・。
いまだ その小説も本になる事もなく そろそろブログにでも
分割掲載しようかと思っておりますが 
まぁ もう少し 時を 待ちましょう。
GOOD Timing is God Timingやで
という おやさまのおしえを 胸を寛げてしばし瞑目致しましょう。

ボクの「読んでいるブログ」欄にある『優しい光』さんの8月19日付けの記事に
先月のおはなしが掲載されています。
少し 気掛かりです。
天命庵のお庭は 小さいです。100人も入れば満員電車状態です。
おやさまは 以前は神出鬼没・・・といったら怒られるかな?
とにかく 何処から現れて 何処でおはなしなされるか 誰もわからなかった。
突然 午後席の始まる刻限を少し過ぎると 赤衣のおやさまが
お庭だったり 洋間だったり 岩倉と今呼ばれている大きな庭石の辺りで
スーッと拍手をお打ちになる。
現在は いつものお席が お世話役さんによってきちんと設えられている。
そして その席の周囲を ここ数年いつもの方々が陣取り
遠方からはじめていらした方々へ譲られることなど めったにない。
あの方々と同じじゃ たまらない。鏡屋敷だとしたら 御免蒙りたい。

おやさまが 佛弟子のおはなしをされたのはもう 10年前になるかしら。
念のために記して置きましょう。
『釈尊がいよいよご自分の入滅を明らかにされ 
多くの人々が おしえと奇蹟を求めて後を絶たない。その中で古くから
釈尊のおしえに従うも 具足戒を受け教団に加わる事はなかった者がいた。
彼は釈尊のおしえを常に遠くからそのお姿を眺め、そのおしえの声を
片隅で全身を耳にして聞いた。そんな彼を観止めた、阿羅漢となった佛弟子の一人が
「あなたも 是非 お近くで釈尊のお声に触れなさい」と勧めたが
「わたくしは 此処で充分なのです」と心から柔和な微笑みを満面に湛えて
合掌した。そして釈尊のおしえは はじまり やがて 終わる。
その日 釈尊は 最後にこう告げた「わたしが伝える御仏のおしえを 誰よりも聞く者よ!
それは わたしから 最も遠く離れた場所で 全身を耳にして聞いた
あなたですよ」 
釈尊の視線の先には 遥か彼方 群集の最後尾にいる
あの者がいた。 後日彼は 最も偉大な阿羅漢の一人となる』
この挿話は 何度となく 繰り返されたから ご記憶の方も多かろう。
勿論 話っぷりは もっと優しい大和言葉ですけれどね。

洋間に置かれたルルドなどのマリア像や 仏像が 時折
おやさまのおはなしの最中に 光放って 微笑んだり
マリア像から 小さな天使たちが 飛び出してくるのを夢うつつに
垣間見るのが好きだったから ボクも 洋間から直角に中る
梅だか松だかの古い庭木の傍が定位置になってしまったが
昨年から お庭の外へ出るようにした。
そうして 今 いつか帰れる日を信じて 
手元にある赤本の頁を繰りながら 全身を耳にして おやさまのおしえを
遠く離れて伺う覚悟を決めようと思う。
天命庵のお庭は 100人も入れば立錐の余地もない。
「でも このくらいがちょうどええのや」とおやさまは仰った。
そして「じゅんぐりじゅんぐり 来る者去る者が入れ替わればよい」と。
「一人でも多くの者が 此処の簡単なおしえを実践すれば 全てが救われる」
そう 妙法蓮華経を見聞し、受持することをえたれば
能詮は報身、所詮は法身 色相の文字は即ち是応身なり。
もしは信、もしは謗 共に仏道を成す・・・と説く、
日蓮宗の開経偈は 天命庵のおしえに妙締をともにするようだ。

♪絶え間なく 星たちが わけもなく流れ去り
 愛された思い出に 夢を一つだけ
 あなたに 叶えてくれる ♪
※井上陽水『五月の別れ』より

この歌が この記事を書いている間、ずーっとボクの頭の中で鳴り響いていました。
ほの明るい せつなさが やはり今の気分をなぞっているのでしょうね。200803281246001.jpg
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我々はどこから来て我々はどこへ行くのか・・・ [天命庵]

腸内には誰しも1kgの細菌を保有している。
しかし善玉菌という我々の健康を維持するにおいて役立つ菌ばかりでなく
そこには必ず悪玉菌という我々の健康維持を危うくするものが存在する。
悪玉菌が優位になれば人は健康を損ない 善玉菌が優位であれば
健やかである。しかし 腸内細菌は決して善玉菌だけになはならない。
「必要悪」という言葉は大人のふりをした「知ったかぶり」である。
善玉菌がその性能を高めるために 悪玉菌との戦いで訓練している。
そういう描写や説明も可能だそうだ。 しかし 実際は解らない。

スターウォーズにしろナルニア国物語にしろなんにしろ
善悪との戦いを人間はストーリーとして希求する何かを
潜在的に持っている。または「戦う」ことを宿命として受け入れているかのようだ。
人間は 生まれた途端に「死に向かって」「死ぬために」
生きる。エントロピーの法則に抗うが如く 細胞は分裂し続ける。
息を吸い吐き、食べ、排泄する。
シュタイナーは 生成の実相と死滅の実相を正確に思考し その思考に基づいた
感情を育成せよと 言う。造化の妙なる「流れ」と一体化しうる思考と感情を
意志を持って形成しなくては 宇宙の真実に向き合うことは適わない。
生を愛しみしすぎるな 死を厭いすぎるな 
生を厭いすぎるな 死を慈しみすぎるな
とにかく 「~しすぎる」ことは 道に中(あたら)ず 心を偏らせ
偏ることは 全て バランスを崩し 結果は 悪い・・。
般若心経は そう解く。 妙法蓮華経は どうやらその般若心経を中核に埋め込みつつ
あの荒唐無稽な「神通力、なんでもあり」の世界を絢爛に展開する。
思い通りに生きよ されど 決して偏るな。思い通り生きよ 但し中道を歩け。
中道とは 真ん中ではない。 人としての道を 踏み外さない。道に中(あた)るのだ。
人間としての道に中(あた)る。思い通りに生きて・・・・ 自我 我欲の無い
感情を自分の意志で 思考を駆使し 完全にコントロールできるならば・・・。
ニーチェは 超人の前で 綱渡りをする愚か者として我々人間を描写し続けた。
「できるか そんなこと 人間技じゃない」そう 絶叫し続けた。
8850611.gif
予知夢で預言警告するブラジルのジュセリーノ氏は 
我々の行く手に広がる暗澹たる世界を警告する。
2036年だかに 小惑星が地球に衝突し 2043年には人類の8割が死滅するという。
その前にも鳥インフルェンザや地球温暖化による砂漠化による大規模な飢餓
最早石油よりも水の取り合いによって起こる国家紛争の明け暮れ
おまけに人口爆発・・・ まともに読んでいたら 小惑星衝突以前に人類は
死滅していてもおかしくないし、そんな暗澹たる世界に生きている意味を見出せる
「超人」のごとき人類が たとえば 2割生き残る中に一体 何人存在しているだろう?
しかし 預言警告どおり 中国では地震が起きた。
8月北京が本当に恐ろしい大地震だとも言う。 中国は北京オリンピックを開催できないだろうと・・・。
天命庵のおやさまは 嘗て 「人間が創る中で最も恐ろしいのは 悪夢のような妄想。
又 人間が創ってしまった最も恐ろしい原爆ですら 実は 親なる神 そしてこの地球が
人間に創らせているのですよ 。そうね 1999年に空から降ってくるものじゃなくて
も少し先に 空に現れて この地球めがけて来るものを打ち落とすなり軌道を外すなりするために。
オゾンホールを作るといって悪者扱いしているフロンだって 無駄なモノでないことが
解る時が来るでしょう。なぜなら 親なる神は 無駄なものなど何一つ人間には創らせませんからね。
しかし 人間の妄想が 怖いのですよ。 悪い方へ悪い方へ考えを偏らせるその妄念こそが
最も警戒すべき悪なのです。あんさんがたは 強烈な悪を捏造する能力すら持っています。
しかし その能力を 強力な善、愛に満ちた真実(まこと)を創造する方へ使うのですよ」
警告はありがたい・・・だろうか?寧ろ そんな悪夢を見たら いち早くそうならぬような
良い結果がでるような強烈な愛に満ちた想念を 悪夢の出処へ向かって送り返してほしいものだ。
予知夢なり預言の能力を生まれつき授かった方々は
どうしても 絶叫し 警告するしかできない と思い込みすぎている。
しかし それでは 我欲の強い我々には寧ろ逆効果でしかない。
我欲無き 自己の感情をコントロールできる人間ならば
ただ 心を鎮めて 強烈な善と愛に満ちた真実を創造し 想念の二重螺旋構造体を
悪夢に蝕まれた我々人類の共通無意識領域に向けて送り続けるだろう。
我々人間は 皆 個として自立乃至孤立している存在だと 誰しも感覚しているが
我々の脳細胞が帯びる微弱な電位体らしきものは 目には見えないが
共通無意識領域を 民族的 人種的に結びつきあっているらしい。
そして そちらが 融合しあう時 我々は 自立と孤立をコインの表裏の一体から
分離させ、自律する自立を共有しあうはずなのだ・・・・。
だが 我々は孤立している。 自立している者同士ならば 融和し友愛によって
成し遂げられる喜びを 自分の喜び以上に愉しめることを肌身に沁みて知っている。
そうなれることは 明日からでもできるのだが 我々は孤立の枠組みに固執している。
我々は自立しがたい。自分の喜びにしか 努力を惜しまないし、関心がないからだ。
自立と孤立を 切り離すのは 我々一人ひとりの意志的な作業でしかない。
我々は 我欲を全うすることが自由だという誤った認識から脱出できるだろうか?
自由とは寧ろ我欲を意思的に抑制した上での大らかさに他ならないとしたら
我々は 果たして 自由を求めて 努力できるだろうか?
たとえば 天命庵で思うことがある。(今日も 天命庵には 伺えなかったが)
コンビニで 皆 自分の弁当を買ってくるが 伊藤家の御厚意で設えたトイレに
トイレットペーパーを持参するような方は いるのだろうか・・・
トイレクイックルぐらい自分たちで用意するのはあたりまえだという心は
一向に育たないのだろうか 
ビートたけしは成功の秘訣として「師匠から トイレはいつも綺麗にしておけというおしえだけは
外出先でも絶対守っている」と応えたそうだ。ダスキンのバックボーンにある宗教団体は
見ず知らずのお宅に伺って 「トイレ掃除をさせてください」という修行を基本にしている。
天命庵が 宗教団体にならぬために 光有堂を宗教法人にせず あくまで有限会社に
している心意気と真意を いつまで経っても 了解できないでいるのだろうか?
そういうボクは まさに それを実践する勇気を持てないでいる落第生の仲間でしかないが
しかし 敢えて 書いておこう。
あしきを祓うても 祓うても そのあしきは ドンドンドン おぢばに滓(オリ)のように溜まり
おやさまも命様も 疲弊せざるをえない。何もかも お世話役さんにお任せ
友愛とは別の馴れ合いが 午後席10分前に私語を慎む態度として実践できない。
初めて来た方でも 周囲が静まれば あえて「10分前ですからお静かに」などと
古株がここぞとばかりに 知ったかぶりして注意しなくても自ずと分かる。
そんな風になることが 友愛という言葉が目に見えた形で現れるのではないだろうか?
自立しているもの同士は あうんの呼吸で 今 この場で我々がどう歩調を合わすべきかを
各位がアドリブで示し合わせて間違わず、しかも 楽々ととして滞りなく、美しくすらある。
その感覚は ジャズを聴けば判る。 自立した確固たるプレイが出来る能力を持ち合わせた者同士が
それぞれに アドリブの受け渡しをしていく。すると さらなる高揚感が広がったりする。
あの感じは ジャズの良さであり 我々が何処へいくべきなのかを 明るく暗示している。
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ジュセリーノの予言

ジュセリーノの予言

  • 作者: テレビ東京「史上最強の預言者ジュセリーノ 未来を変える5つの警告」製作班
  • 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
  • 発売日: 2008/04/26
  • メディア: 単行本



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平成20年春の御霊祭り [天命庵]

天命庵のお隣の、あの 桜は今年も 春爛漫でした。お神楽の音声ファイルを貼ってみました。
携帯電話の録音です。人の声、拍手もまぁ 臨場感ということで・・・。玉串を捧げ、各位其々のご先祖様方々へ感謝供養を。
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此処へ来て 現世御利益を願って 思い通り自分の都合にあった「お示し」を!と通うてくるでしょうけれど それは 心得違いというものです。 現れ出でる「お示し」、「示す」偏に「申さく」というつくりで「神」ですからね。 すべて現れ出でたる「お示し」には 人知を越えた「親なる神の、果てしない愛から」届けられている。 その果てしない愛を感じ知るための「心」を出来る限り 今生において設えるために 此処へ繋がるようにと「お示し」を頂戴しておるのや。決して出来が良い方々だからではないのやで。 こんな簡単なおしえを護り実践できんくらいやから 補習補講の連続という方々ばかりなのですよ。 まぁ それでも 此処へ来れば ちゃんとあんさんがたの魂が ホッとでける。 又10日したら 心があらぬ厄介を勝手に拵えて 魂が疲れて 皆勤賞! 補習補講が好きな落第生という自覚を持ってもええくらいです。

さらに・・・


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平成20年事はじめの日~午後席 [天命庵]

平成20年の天命庵の事始めの日
午後席のおしえを 書き留めてみます。
★相変わらず以下の記述は
 忠実な採録では ございません。
 私のフィルターがバンバンかかってます。
 予めご了承くださって 
 宜しかったら お読みください。

今年は 子年です。
「了」と「一」、つまり 何かが終了して 何かがはじまる。
また 『ね』とは 音のね。観世音菩薩様のように
音を観ずるようになりたいものですね。
それはつまり 『聞き上手になる』ということですよ。
そして 人間の値打ちとは 
「あぁ あの方がいらしてくれる 嬉しい」と喜ばれる人となることです。
そう値打ちのね、 人間の値打ちとはそういう人のことです。
何も 特別な才能や才覚があるでけが 人様から喜ばれるのでは
ありませんよ。 『聞き上手な人』は 喜ばれます。
ともすれば 今は 語り上手を もてはやしすぎていませんか?
語り過ぎて『騙り』になってしまっていませんか?
やはり 人間の値打ちは 『聞き上手』が 基本ですね。
人様の話に 心込めて 耳を傾ける。
簡単なことのようで なかなか 忍耐辛抱のいる修行ですよ。
思えば 本物の優れた才能や才覚を持った方というのは
人の話をよく聞ける 余裕がございます。
そういう方は ちゃんと 基本を疎かにしていないんですね。
格別な能力が あるからと ふんぞり返ったりしないのですね。
人間の本当の値打ちは 『聞き上手』になることです。
そしてそれは 観音様と同じ徳なのですよ。
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宇宙の法則、天のことわり [天命庵]

与えれば 与えられる
ほしい ほしいの乞食心になれば
自ずと乞食の卑しさに堕ちる。
与えるのは 物や金ではない。
真心である。やさしい心を与える。
宇宙の法則 天のことわり
真心を与えれば 真心が与えられ
やさしい心を与えれば やさしい心を与えられる。
恨み悔しいで心をがんじがらめにすれば
ドンドン気が沈む。心が重くなる。
心が重くなれば 身の上も重くなる。
落ちるところまで堕ちたいのか?
そうなりたくなければ
簡単だ。恨む悔しいの思いを解き放ちなさい。
心を軽くし ほっとけ ほとけの道を歩みなさい。
執着すれば するほど 心が重くなる。
心が創り出す世界に住んでいることを
思い出しなさい。
簡単な宇宙の法則、天のことわり。
身の上が調子が良くても 人の心には
今度は 思い上がり 驕り高ぶるほこりが溜まる。
知らず知らずにやさしくない言葉を吐き
心は驕り高ぶりで重くなる。
同じ宇宙の法則 天のことわり。
以上 10月8日 天命庵で僕が胸に刻んだおしえ。

いやぁ~耳に痛かった。苗字が「ほしの」だから
ほし~のほし~のになっちまうんだ。と呟いてしまった。
夕方 新嘗祭の儀式として 穂先祭?(聞き違いかもしれません)
の舞を命さんのお妹御が 十二単でなされる という予告あって
久しぶりに夕づとめに侍った。
朝から大雨大風で、まさく清めたもう日和であった。
あぁ今の僕が伺うべき日だと思いさだめし、
大粒の雨と嬲る風に耐えた午前席。
命様もまさしくそう仰った。
「清めてくださっています」と。
午後席になると少し陽光すら雲間から現れた。 
すかさず 存命のおやさまは
「雨降って地ぃ固まる。今苦しんでいる方々 喜びなさい!
今のその苦しみに耐えることは 其々のつとめやで。しかし
必ず乗り越えられる。寧ろ 地ぃが固まる。よかったのやと
思う日が来る。そうお示しくださってるのやで」と。
そして薄暮の頃には 奔る黒雲の合間に
青い大気に満ちた空が静かに広がっていた。

夜の帳が落ちた天命庵のお庭には 幾つか灯りが立ち
幽玄なる舞台装置が 俄かに成立する、と
十二単の動くお雛様が 可憐に鈴を鳴らされた。
そして暫し 命様と対座し 祝詞をコラールされた。
命様は 「皆様の今在る苦しみ、苦悩を 全て祓いました」と
動くお雛様の舞と儀式を そう 力強く締めくくられた。
かつて 平安神宮で薪能を見物した時
その目に映る幽玄なる美と耳に届く鼓や笛の音の鋭さに
僕は「太刀振る舞が 能なり 」と直観したのを思い出した。
あの能も又 衆生の苦悩を太刀きり、祓うべく執り行われたのであろう。


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平成19年7月の『おまつりの日』 [天命庵]


★この写真掲載に問題がございましたら、お手数ですが 【メッセージを送る】ボタンからご連絡くださいませ★

「この岩倉を割って いのちの木が伸び
青々と葉を繁らせている 私はそれを見ました」
午前席での命様のおはなしです。
いのちとは この大宇宙の創造主たる
我々人間もおつくりなられた親なる神様が
生かそう 活かそう というご意志を
おしえという形でお示しくださっていること。
午後席でおやさまは更に解題されました。

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昨日で天命庵に伺って15年目になりました。 [天命庵]

昨日のおはなしは 大徳寺昭輝さん公式サイト(このブログのエイシュンのお気に入りサイトから
飛べます!)『心の窓』にきちんと載っています。飽くまで僕なりの再構成を少々。
『釈尊のおしえも イエスキリストのおしえも そして此処天命庵のおしえも
中心は同じ 「正しい法、正法とは 素直という柔らかい心」ということであります。
起こる事は全てあなたに必要なことだから起きている。だったら素直に在り難いなぁ
感謝しなきゃ!と自分の思い描いた状況に執着せず(欲を出すとは執着すること!)
サラリと何事も修行だ 此処をなんとかする力が自分にあると認められたのだろう。
だったらなんとかしてみよう。でも 方法がわかりません!というなら
万歳万歳お手上げ万歳でもまずしてなさい。その内ちゃんと何をすべきかが分かり
素直な心でありさえすれば 喜んでどんな些細な事でも 今なすべきことはこれだ!
と思いを込めてできるはず。そうすれば 事態は結局 為るべき方へ為すべき事へと向かう。
それが心の次第、心の方向が定まってくる。心が素直で円い、喜び感謝に満ちていたら
角々しい出来事がよってこなくなる。角々しい人のほうからあなたを避けてくれる。』
                      ※
15年前 はじめて天命庵に伺った時は
梅雨らしい日でした。当時 『おまつりの日』は お二階で存命のおやさまが 
一人ひとりの手を取って、其々に親なる神様からのお言葉を
おつなぎ戴くならいでありました。運よく?僕は一番最初の列になる番号札「青」を
手にしていたので 午後2時ぐらいには 一階の広間で順番を待っていました。
開け放たれた縁側越しに お庭を眺めていました。
こりに凝った造りとは 言い難い、広大なという形容詞はそぐわない庭には
木々がほどよく並び 花をつける草木が点在し 一雨ごとに
新緑から濃度を増してゆく・・・そんな想いと同時に僕の脳裡では
前年1991年の夏ごろに見た夢が 再生されていた。

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