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二度観てしまうドラマ [小説と映画]

去年は 『逃げるは恥だが役に立つ』と『カルテット』を
TVerで観られる一週間の間 二度観てましたが
この秋は 『コウノドリ』と『陸王』ですね。
吉行淳之介さんは 「再読の価値ある小説は 正しい」
と仰ってました。「再読する度に新しい発見をしてしまうのは
新作でも古典だ」と。又「古典と称されていても 再読し難い
作品も私にとって幾らでもある」by吉行淳之介。

上記4作品のテレビドラマは おそらく
ドラマとして「正しい」のかもしれません。
但し私が吉行先生ほどの批評能力があるわけでは
ないので 甚だおこがましいのですけれど。

『陸王』は 『小さな巨人』や『半沢直樹』を制作した演出陣。
市川右團次さんがご出演されていても 歌舞伎芝居を
抑制しているのが 面白いです。しかも
目の芝居が必然となる以外は アップサイズを控えめにし
ロングサイズを多用しているところが 私は好感を持ってしまう。
ストーリィラインは 勧善懲悪ですが 悪い銀行員君でさえも
おぉぉ こう変わるか という辺りは なかなかですね。

 本来阿川佐和子さんが 足袋屋さんの社長夫人が穏当ですが
敢えて壇ふみさんを気風のいい姐さん社員役にしなかったのは
正解でした。阿川さんがあそこまで芝居心があったとは
意外でした。お見事です。阿川さんとキャスティングされた方に
拍手です♪ 『下町ロケット』以来のモノ創りドラマ。
マーケティングと言う仕事も そういう面白さ、
モノ創りのシナリオを描くことが
とても愉しい仕事でした。

『コウノドリ』
先々週の死産の回は 殊更観直しました。
洋菓子屋さん夫妻を演じた 深水元喜さんと篠原ゆき子さんが
共に好演されていたのは ネット上でも話題でした。
このお二人で『自虐の詩』を再度トライしたい・・・と
思うプロデューサーは いないかなぁ と思いました。
深水さんで『ゴルゴ』ってのも いいかもしれません。
このドラマでも「殺し屋」と反応されてしまうケーキ職人でしたし。

 医療系ドラマは 『コードブルー』にしろ『ドクターX』にしても
高視聴率らしいですが 『コウノドリ』は
ドラマの深さが ちょっと他局の2作品とは違うように
私は思います。医師に死生観まで任せることの切なさ 
危うさ それに向き合うことしか
できないのが ドラマの作り手としての限界。
それでも 心の洗濯屋さんたるドラマの作り手たちは
せめて 医師たちに死生観まで背負わせてしまうことを
世間の人々に訴えかけることは 臆せず為すべきなのでしょう。
このドラマの原作漫画の作家さんも 心の洗濯屋さんとして
そうせざるを得なかったでしょう。

意外なことに大好きなクドカンさんのドラマを二度観してません。
二度観すれば 台詞の中にきっとある芸の細やかさに
気付くのかもしれませんね。それにしても子役の使い方が巧い。
そして このまま今年のクリスマスからの回想で
ドラマの結末が どうなるのかは 未だ予測がつきません。
『カルテット』も最後から3作め辺りからガラガラと急展開し
素晴らしいカタルシスへと我々を誘ったチームですので
愉しみですね。

 綾瀬はるかさん主演の『奥様は取扱い注意』は
毎回 綾瀬さんの吹き替え無しのアクションシーンのみ
その場で繰り返し観ます。
ただ話が・・・・作り込み過ぎていて嘘くさい。
嘘がばれるのが怖くて嘘の上塗りするが如し。
どうも私には感情移入し辛い。
本田翼さんは 『ワニトカゲギス』の時の方が
数倍 いや数十倍良い。TBSの坪井ディレクターさんは
主演女優(本田翼さん)の顔に影が降りても
その影を活かして本田さんを美しく撮る腕がある。
フェルメールライティングを大切にすると
そうなるのです。
綾瀬はるかさんと坪井ディレクターさんは
『わたしを離さないで』で組んでいましたっけ?
そういえば 私はブログで『わたしを離さないで』について
書いた折り 原作者のイシグロさんの方が
村上春樹さんよりノーベル文学賞を受賞するのは
早いような気がするって書いてたんですよ。
やったぁあ 預言的中!って 莫迦な私。
忙中閑ありとて妄言多謝。失礼をば致しました。


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おやすらぎいただけましたでしょうか [小説と映画]

『やすらぎの郷』が駆け抜けた半年。
倉本聰さんは やはりコメディですね。
深刻なところもございましたが コメディがいい。
芸達者が揃いに揃って愉しかった。
石坂さん無しに在り得ないドラマと浅丘さんが
仰っていたらしいけど まさしく。
そして浅丘さんと加賀さんが 素晴らしかった。
もちろん 八千草薫さんが 姫でした。
永遠の姫っすね。今時あんな完璧な美人で
すてきなソプラノで ねぇ 一言で語れる女優さん
存在しませんね。もしかすると今後も。
おそらく
倉本さんは昨年このシナリオを書かれている際に
蓮實先生の『伯爵夫人』をお読みになって
秀さんの金まる潰しのエピソードを書きたくなったと
私は 推察致します。ちょっとハッピーちゃんが
可哀想すぎるだろうが!と思いますけど。
それほど蓮實先生の『伯爵夫人』は人を興奮させるのですよ。
って 倉本さんがそうだったか確証得ておりませんが。

 あのアズミとナオミのキャスティングだけはちょっと
私の独断と偏見で 敢えて申し上げますが
説得力無いと感じました。ちょっと平凡な顔立ちすぎる。
早見あかりさんぐらいキャスティングしてほしかった。
早見あかりさんだと80にして立つ!のも
無理からぬが ひと目で判ると思うのだけど。
そして菊村先生の御乱行後の冷静な大人の振る舞いに
棹さすごとき 事実にも だよねー の
ずっこけ方が 更に激しくなっただろうと。

 風吹じゅんさんとミッキー・カーチィスさんが
特筆ものでしたね。ことにミッキーさんの
麻雀で信子さんのお父さんに敢えて大逆転役満をつみこむ。。。
できんのか そんなこと と訝りつつ
彼が演じていると やれるんだ つみこみでぇと納得していた。
ミッキーさんの『カルテット』で 雀ちゃんの片思いに
「まぶしいねぇ!」で切り返すシーンが珠玉なのですが
お暇な方はチェックしてください。真紀さんの夫が出現する
前の回でした。あの一言の台詞をあそこまで輝かせるのは
つみこみで対面に役満させる人じゃないとできません。
と おそらく倉本さんもそう思ったに違いない。

『やすらぎの郷』について 又後日書くかもしれませんが
今回は この程度にさせて頂きます。

※『わにとかげぎす』が 結構最終回も素晴らしかった。
主役二人は次々と危機回避をご本人たちがするつもりもなく
為されてしまい なんだバースターキートンのスラップスティックを
観ているような爽快感が ありました。
その代り彼らを取り巻く悪党たちが 次々と自滅していく
様相は凄いけど。この主人公・富岡は
落語『文七元結』の左官の長兵衛と同様な仕儀を人として為した
ゆえにもたらされた至極のハッピーエンドというのは
贔屓の引き倒しでありますかな?
感情教育ですからね 小説も映画もドラマも。
なぜ感情教育が大事かと申せば
それは Youtubeで『ザ・シークレット』でもご覧ください。
あれ観ると なぁあんだ おいら若い頃から思考と感情の
二重螺旋構造化の努力なんてやってたもんね。
なのでした。
たかが小説でも たかが映画でも たかがドラマ 
じゃあないのです。

倉本先生も 名台詞書いてました 「姫は 心の洗濯屋さん」
だって。


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2017年春から始まったドラマたちよ [小説と映画]

『コードブルー3rd』
新垣結衣さんと毎週会える機会が失われるのが辛い。
何はともあれ それだけで幸福でした。
戸田恵梨佳さんは 『リバース』とは別人28号の役を
そつなく 好演。灰谷役の成田陵さんは『逃げ恥』とは
打って変わった役を好演。若手の演技派として
今後注目されていくでしょう。脇でも主演でも期待できる。
成りきり集中力の高さが別格。
ガッキーはダンスがなくってもよいのだった。
ただ 話は ピアニストの少女の脳腫瘍の後遺症だとか
山Pの藍沢のキャリアアップだとか 盛り込み過ぎだ。
ワンクールの量じゃない。患者が繰り広げる
『ER』の社会性には足元にも及ばないのは
フジテレビの戦略の問題なので致しかたない。

『黒皮の手帳』
シナリオのテンポが速すぎる。こちらも
2クール必要なのを無理矢理
1クールで語る窮屈さが 淋しかった。
ただ武井咲さんは好演。安島の結婚相手になる
NHKで野田さんというドラマの主人公をしていた
女優さんがよかった。出番は少なかったけど
脇役ながら 光っていた。すいませんお名前も確認せず。
伊東四朗さん演じる長谷川会長が 急変して牙をむく
あたりは かなり無理が在ったと思う。
最後の罠も ラストの武井さんの謎の微笑も
私は 少し違和感が残った。視聴者の想像力に委ねすぎ。
芥川龍之介の『羅生門』の黒滔々たる闇に消えた 
の余韻とは なっていない と私は思う。

『わにとかげぎす』
実は未だラストは観てません。本田翼さんに
早口させない方が もっとよかった。
どうしても早口になるのなら 監督が台詞を削ってしまうべきだ。
成瀬巳喜男監督は本読み段階で墨で塗りつぶして
脚本家の水木洋子さんといつも喧嘩していた。
特筆すべきは
殺人鬼上原を演じた俳優さん この人が秀逸だった。
お名前調べたのに忘れてしまった。失礼!
蟹江敬三さんとか内藤剛志さんの如く
悪役専門から次第に主役を張るタイプがやっと出てきた。
大滝秀司さんも 倉本聰さんの『2丁目3番地』で
かなしき税務署員を演じるまで悪役専門だった。
その役以来『うちのホンカン』で八千草薫さんと夫婦役まで
のし上がるのに時間は掛からなかった。
それにしても画作りは さすがTBS。
ロケ場所も脇役の顔の揃え方も巧い。
世界の北野監督も
この周辺をもっと気にした方がよいだろう。

『やすらぎの郷』は おなかいっぱい。
倉本聰さん凄すぎ。やりすぎ。でも大成功!
テレビドラマってこんなに面白いものだったんですね
と多くの人々が世代を超えて納得しただろう。
宮藤官九郎さんも坂元裕二さんも負けちゃいられんよね。

 八千草薫さんの出番がなくなって哀しい。
八千草薫さん演じる大女優・九条摂子姫さんが亡くなる前に
彼女を称して 心の洗濯屋さんと言い切ってくださったのは
倉本聰さんの極め付け名台詞だった思います。
心の洗濯屋とか心の掃除人になるのが
役者やシナリオライターやスタッフの使命なのだ。

ところで 若き日の八千草さんが主演された
『三四郎』の映像が引用されていたけど
捜して観ないと♪
ただ 漱石原作映画って
どうしても原作に負けるのです。
なぜなら 漱石の小説は読み手の映像的想像能力を
相当の腕力で引き出させる言葉の力が別格だからです。
そして小説という存在の役割は
我々の映像=イメージ能力を鍛える ということです。
MindGameをしに生まれて来た人間存在にとって
感情教育の目的地を其処へと明確にした
夏目漱石の偉大さについては 余計かもしれませんが
此処にしたためます。

このドラマについては いずれ別に稿を改めます。
未だラストまであれやこれやあるようだし。
浅丘ルリ子さんが このドラマは石坂浩二さんだから
成立したと仰っていたけれど 全くその通り。
まぁ 言わずもがなのことですが
高倉健さん もう少し長生きしてこのドラマに
秀さん役で出てほしかった。藤竜也さんも好演されてますが
高倉さんあてがきで さぞやり辛かったでしょう。


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金曜放送分も土曜には動画アップしてね テレ朝さん [小説と映画]

いえなに 『やすらぎの郷』のことであります。
tVerへの動画アップが金曜日放映分が 月曜になるので。
実に 遮断感が半端無いので トホホホ。
こんなとこで注文つけても 意味無いのは承知なのですが。

 しかし
八千草薫さんの おでこ って 国宝クラスですね。
倉本聡さんは 彼女の「ねぇ~」の凄さを熱弁されていましたが
その八千草さんの「ねぇ~」炸裂の 素敵な喜劇が繰り広げられています。
加賀さんや浅丘さんが絡んでの 誰一人悪人と悪意の無い
寧ろ善意が空回りし 捩じれることによって引き起こされる
喜劇ってのは 観ていて やはり 気持ちいいですしね。
復讐劇のシンドイドラマは 若気の至りの世代向けなので
観ないことにしています。どうせ暇潰しなのだから
『やすらぎの郷』で ホッコリした方が いいですものね。
復讐劇のドラマってのは『リバース』ってやつです。
私が観ない方がいい映画と嘗てこのブログで書いた映画の
原作者の小説が原作です。半分観て 消しました。
ついでに 申し上げれば 火曜日夜10時のTBSドラマも
私なぞはターゲット外だと思いますので おそらく 観続けることは
無いと思います。監督が金子さんだってので初回は拝見しましたが
いやぁ 仕方ないっすよね。こんな話だし こんなもんでしかない。
冬彦さんになる東出青年の運命やいかに・・・って興味ないし。

ということで 『やすらぎの郷』が 妙にテレビに貢献したというより
日本映画史に関わる噂のようなことが 更に倉本さんの
想像力によってとんでもない噺へと変容する様は
決して 悪くない。 いや不遜な言い方ですな。
素晴らしいと 申し上げましょう。
テレビドラマ創世記?における小津安二郎と
マキノ雅弘に関する 伝説なんてのも 倉本先生が
書いてくださると もっと 痛快なんですけどね。

しかし 『リヴァース・ショット』という小説を書いた者として
復讐劇に『リバース』という題名が付けれらていると知ると
ちょっとむかつきます。 どうでもいいことですけれど。
ちなみに 私の『リヴァース・ショット』は 
復讐じゃございやせん。小津の切り返しショットのことです。

だいたい赤穂浪士だって討ち入り場面なんぞどうでもいい。
それよりも 内蔵助と内匠頭の葛藤を描いた小説を書きたいくらい。
内匠頭は吉良との付き合いは 二度目でした。
家督を継いだばかりのもっと若い時は 国家老の
大石頼母が江戸に出張って恙なく吉良の賄賂要求に従い
何も問題なかった。頼母の甥である内蔵助が あの節
どうして江戸に出張って滞りなく事に対処できなかったのか
面白いドラマはそっちにあると 私は思うのであります。
また 内匠頭が 江戸城中で刀を抜けばお家獲り潰しに
なることぐらい知らないわけもなく 幾らカッと来たからといって
脇差とはいえ刀の鞘をはらってしまったのだ。
武士(もののふ)の心得で
脇差なら喉か胸の急所を一気に刺すのが当然。
よりによって頭なんぞ狙うのは 龍馬を暗殺した
薩摩藩の示現流じゃなきゃやらないし それだって
飛びついて頭かちわる勢いの太刀筋じゃなきゃ致命傷にならない。

内匠頭は 武芸の鍛錬を嫌っていた。という事実もあるらしい。
内蔵助は それを危惧していた。武芸鍛錬によって上記
仕儀を上首尾にせよ というのではない。
武芸鍛錬によって 臍下丹田に力を込める訓練を日常に
積み重ねていないと いざという時に肚が座らない。
堪えるべき時に 心身喪失し 
キレたりしないために 藩主の義務として
内蔵助は 勧めていたはずなのだ。

 私が もう一つ 温めていた赤穂浪士物語は
四十七士が 切腹せず 一度 髪をおろし 得度出家し
全員 他藩に再就職を果たすというものである。
無論 そんな事実史実は無い。 しかし 其処から始まる
大石主税の別の名前の人生を書いてみたいと言う小説。
ある意味でのパラレルワールドを。
さてさて これも温めただけで終わるかな?
半島は爆発寸前だし 日本の火の御山様方々は
海の火の御山様まで 瞋恚を放出されるが如く。
さらに 共謀罪・・・治安維持法より性質が悪い。
これに徴兵制度と不敬罪が立法されると
あれよあれよと我が国は 戦前の世界に戻る。
今の内閣が それを目的にしているのは明らか。

しかし 今上陛下様は サッサと生前退位を御表明あそばした。
その御心を表明あそばした中に 何度も象徴天皇として
という言葉が繰り返され 
二度と現人神に祀り上げられてたまるか!
という大御心と私は お見受けする。

天皇家に見限られた とは 今の内閣は思いもよらないらしい。
その鈍感さだけで 図々しさだけで 国是を弄ぶ方々である。
石破さんとか 嘗ての自民党なら ちゃんと
バランスをとる為の存在として温存するのを
もののふの心得としていたけれど 今や冷遇する始末。

変人総理は 田中派を潰したが
結局 もっと性質の悪い宏池会派を産んだだけだった。
いや 昔の宏池会はもっと理知的だったはず。
日米開戦へと暴走させたニキサンスケの一人
あの 岸信介ですら・・・・。


スクェアダンスの気配 [小説と映画]

昨夜の『カルテット』で宅建資格を活かして
すずめが北軽井沢の不動産屋に就活する。
ミッキーカーチスさん演ずるダンディーな社長の
眼鏡をずらす仕草を交えて御機嫌に踊る
すずめ役の満島ひかりさんを 移動撮影でとらえる。
『ララランド』ってアタクシ観てないけど こんな雰囲気?
ミゾミゾ=溝口健二如くクレーンで移動し撮影していた!
で 漸くアタクシも ミゾミゾ感を堪能させて頂いたのだった。

ほぼ確実なことは
満島ひかりさんにとっても
このドラマは彼女の代表作の一つになるはずだ。
ガムテープで口塞ぐのはきつかっただろう。
それを一気に剥すのは もっと辛い。
ベッドシーンよりも 女優にとってナンボか辛かろう。
だが それを耐えたご褒美に
この回では 御機嫌に歌って踊ったし あの不動産屋さんは
白雪姫の七人の小人的存在で ホークスっぽかった。

せいてい じゃなくて成程 
このドラマは四角関係だったのだ!
こっちで ゴダールの『はなればなれに』における
スクェアダンスを おやりになる・・・・かもね。
『逃げ恥』だとね ガッキーという
アンナ・カリーナによく似た女優さんで おやりにと
こちとら思いますがな。ただ 余りにも彼女の
エンドロールダンスが 素晴らしすぎたから。
と 又 アタクシは 一人 思い込みを激しくする。

 マスカーニのオペラのアリアが巻夫妻の出会いと
別れを色どったわけだが そのオペラの
筋書きが 或る夫妻とそこへ割り込む男との
三角関係で 結末は 夫さんと割り込み君の
決闘によって夫さんが お亡くなりなるんだそうで
それを示唆しているのだという指摘が ある。
ところが あれれれ・・・ なんだなんだ
真紀さんってのが 謎が謎呼ぶ設定だったんだねぇ
なんだこの複雑さは! 漫画原作じゃないから
監督と脚本家の丁々発止がせめぎ合っていいじゃないか!
こうでなくっちゃね♡ 
アタクシの二つの小説はパラレルワールドの合わせ鏡だが
それを統合する役割をする存在がいる。
それは 異星人・・・・じゃなくて アルザル・シャンバラ人という
もう一つの地球人たちだったりするけど
まさかねぇ 早乙女真紀と名乗る女性が
パラレルワールドを統合するアルザル・シャンバラ人なんて
ことにはならないよねぇ 絶対に。
いきなりこんな変なことを書くかと言えば 私の小説で
アルザル・シャンバラ人は 五十嵐知日子という名前で 
両方の小説に出てくるのだが
昨日 千葉の両親宅から帰る地下鉄の中で
アタクシが小説に書いた五十嵐知日子が
ずーっとアタクシの前の席に座っていたので
寝不足気味のアタクシは 眩暈を覚えた。

まぁ 現実の頑なさに その硬さに ちょっと
やるせなさを覚えると それを 忘れさせる出来事が
表出したりするのも この世らしさである。私の人生には
よくあることなのだ。
そして 『カルテット』のようなドラマが放映されているのが
この時期に重なるってのも 
かなりシャレオツな宇宙の冗談である。


お久しぶりです、『海街diary』について [小説と映画]

DVDを借りて観ました。鎌倉だし、綾瀬はるかさんだし
勝手に 小津の『晩春』や『麦秋』を想定して 期待していた。
綾瀬はるかさんは 美しく撮られてはいました。
いやどんな無能な監督が撮っても 
綾瀬はるかは 結局 美しい だけのことだ。

だが それでは終わらないのだ。

彼女が幾ら天真爛漫で天然キャラだからだといって
おはぎを一口で食べてみせるカットを あのサイズで撮影する
監督の才能の無さに辟易した。希林さんと2ショット 直角水平の
アングルで 希林さんが 綾瀬さんの一口で食すを観て
アドリブをどうかましてくれるか 私が監督なら試す。
望むべくは 希林さんも一口で食べるのを試し 喉に詰まらす を
想定してね。事前に絵コンテ見せて。「綾瀬さん 一口でいけるかね?」
と、敢えて希林さんの前で訊く。希林さんぐらい芸達者だと察するから。

にしても 下手くそな脚本だった。 
14歳の中学生の未知の少女から「父が亡くなりました。私まだ中学生なので
お葬式の出し方が判りません。 初めてお電話するのに いきなりで
申し訳ないと思いますが お願いします。お姉さん助けて下さい」
といった電話でこの物語が始まるぐらいじゃないと
なんで長沢まさみさんのダメンズ次女の自堕落な寝姿からいきなり導入するのだか
あたしゃ 理解できひん!と江戸弁と関西弁がまじるぞなもし。
つまり ある日突然 借金を残し しかも不倫相手と出奔した音信不通の
父親の訃報を 会ったことも ましてや妹がこの世にいた事すら知らなかった
鎌倉で暮らす三姉妹が 健気な少女を山形の山奥から引き取る
最も大切なドラマをちゃんと ショットバイショットで魅せる腕が無い。
余計なドラマが多すぎる。三姉妹の恋愛模様なんざもっと端折れ。
大切なのは 腹違いの妹を受け容れる三姉妹の葛藤や 自分たちを棄てた
父親への複雑な其々の想いを どうやって画で語るかだ。
この映画の監督は おそらく夏目漱石の『草枕』を映画読本として丹念に読んでいない。
あの小説のラストは こう終わる 
『那美さん それは画(え)になる!』 そう主人公の画工(絵描き)は絶叫する。
小説と映画は 二卵性の双生児である。
共に それは画になる!を 追究する遺伝子が色濃い芸術形式だ。
映画は一方で音楽と同じく数学的な効率性を 時間芸術として思考を準備する。
小説は 時間芸術ではないが 数学的な幾何学性を 構成と構造として
準備しなければならないのだ。
なんつー事を 判っていても なかなかどうして 巧くいかないものだけれど
にしても 下手くそなシナリオだったし 納得いかない画ばかり並んでいた。

白魚が海中から網で浮上し水面で太陽光と戯れるショットすら無く
ましてや 山奥育ちの少女が その透明な形姿を両手で掬い
「お父さん これがシラスだったの」と思わず独りごちるショットなど
望むべくもなく くだらないシラスバーガーとかシラス丼で父親との
食物的記憶による追慕を 台詞で説明ばかりする。
桜のトンネルを自転車で疾走するシーンを トリュフォーの
『あこがれ』や『突然炎のごとく』へのオマージュとしてショット=それは画になる!
に仕上げられないのは 枯枝監督の映画的教養の低さでしかあるまい。
ジョージ ロイ ヒルですら『明日に向かって撃て』で『突然炎のごとく』への
オマージュをそつなくこなしておるがな。情けない。こんなブザマな映画を
カンヌのコンペティションに出すなんて。
橋田寿賀子の脚本でカンヌに勝負した莫迦プロデューサーなど今までの
映画会社なら存在せんかった。あんな何でも台詞で説明しそれでも足りなくて
石坂浩二さんの重厚なナレーションで登場人物の心理までベラベラと・・・。
まぁね 小津映画の共同脚本執筆者の野田高悟さんが 松竹シナリオ研究所出身で
唯一正式採用を反対したのが橋田さんだけどさ
今じゃ勝てば官軍だぜ。いやな渡世だ。
橋田とは正反対にそれは画になる!シナリオと小説を書き続けた
ラジオドラマ出身の天才・向田邦子さんの『阿修羅のごとく』を覚えている方も多いだろう。
この映画の原作漫画自体が 『阿修羅のごとく』の突如現る異母妹弟に三姉妹
ドロドロのスンゲー世界を 下手くそにパクリ損ねているわけですから
企画を立てた人からして 才能が無いわけだ。類は友を呼びたがるもんね。
困ったものだ。 枯枝じゃなくて是枝さん? わざとですよ。才能枯れてるもの。
橋田脚本書く映画監督が 今じゃ日本の第一線の映画監督なんて
到底受け入れ難いのは 私だけなのだろうかしらね?

流石に 蓮實先生のお弟子さんの黒澤清監督や西山洋一監督なんて方々は
こんな 下手くそなシナリオを書かないし、たとえば 映画的教養の高い
高橋洋さんとか知能指数の高い森下佳子さんにシナリオを依頼するだろうけどね。
いずれにせよ原作漫画の程度が低いのだから 上記のような方々なら
懸命に努力奮闘されただろうにね。 
扇風機の前でバスタオルとって縁側で少女が涼むカットがあるのだけれど
あれって テレビCMで大昔 やってたませんでしたか?
つまんねー映像記憶だよ。
はれほれひれはれ がっちょ~ん 
ついでに だっふんだぁ!


余韻、そこから受け取るドラマこそが [小説と映画]

『わたしを離さないで』が 終わりました。
結末は 綾瀬さん演じる保科恭子が 入水自殺をしようと
海に入ると 友彦が逝ったあとに彼女が 河川に流した
友彦愛用のサッカーボールが 彼女の足を再び砂浜に戻すシーンで
終幕となりした。
昏い終わり方の中で 恭子に未だ来ぬ提供通知が
それでも遅かれ早かれ届くだろう。だが
人間は誰しも必ずこの世に思い出を置き去りにして去るのだ。
自分たちは 誰のかの命を永らえるためにだけ生まれてきたとしても
それが 感謝されようとされまいと 人間であったことに変わりがない。
皮肉なことに それは 「死」によって共に抱き合わされてしまう。

この余韻は 春を足踏みさせるような雨の夜にはなかなか受け入れ難かった
そんな方は 多いではないかしら? かくいう私もその一人でしたけど。
しかし 森下佳子脚本は 周到な伏線を余韻のために張っていました。
あの美術教師と恵美子先生が 語らう会話シーン。
「人は長く生きすぎることを扱いかねているのですよ」
「そうですね。 恵美子先生が望んでいらした 
 クローン制度の終焉は 近いというこではないですか?」
「ええ。 人間は 人間の創りだしたモノに逆襲されてしまうのです」

友彦は 自分に猶予延長のために絵を描きなさいと励ました竜子先生と
再会し クローン人間の臓器提供によって感謝する者と出遭い
竜子先生が クローン人間の権利を主張する運動者であることを知る。
そして 自分の理不尽な宿命への苛立ちを鎮める。
恭子という掛替えのない存在と出遭えたことは 自分が
クローン人間として生まれて来なくても在り得たかどうか判らないと
気付く。
これらの伏線の後 死ぬために訪れた海で 恵美子先生と
恭子をは 再会する。人は誰でも あなた達と同様
思い出を置いて この世を旅立つことを 諭される。
「後で 私の家にいらっしゃい。 あなたは私のところへ」
恵美子先生は そう言い残し 介護人に車椅子を押されて去る。
伏線は 余韻を視聴者にたっぷりと残していた。
陽光学苑の同級生たちが 殆ど提供を終えこの世を去ったのに
未だに一度も提供をしていない恭子に 残された運命は・・・・
この後は ご覧になったあなた次第。
何をイメージするかは 視聴者方々の 脳内でご自由に創作してください。

本当のドラマは 映像を押し付けっぱなしにはしない。
ドラマの終幕から始まる 受け手側の脳内にこそ
本当の感情教育の役割が在る。 小説は読み出しからその連続である。
映像は全て読者が脳内で創作するのである。映画やテレビドラマは
映像や音を余りにも与えすぎる。しかし 美しい出演者や光の設計や
美術というヒントを元に 終わった後にこそ 本当の意味での
映画やドラマの役割がある。 小説とて同じだが
それは 想像力を活発にし 思考と感情を二重螺旋構造へ導き
結果として脳を鍛える、 感情教育とは つまりそのことです。
情操教育とは少し違うかもしれません。しかし 情緒とは
余韻を受け手側も与える側も 相手を気遣う、思い遣ることからしか
発生しない とても大切な 人間の脳力なのであります。
数学者の岡潔先生が 理論物理学者の湯川秀樹先生が
なぜ 物質は 物質たりうるかを 素粒子だけなく
素領域を予測し その素領域を連続させ繋げるのは 情緒や愛という
物質ではないが 脳内に確実に存在する「流れ」であり 
それこそが 物質化を決める役割を果たしているのだ・・・と。
だから たかだかドラマだと思わずに 
感情教育への積極的な関与を
私は 此処に お奨めしたいと思います。
そして 我々の未来にもしかすると待っているかもしれない
死生観についての物語は このブログに
『勧誘者の名』 又は 『20××年の召集令状』を
適いますれば お読みくださいませ。

七瀬を映画化するならば [小説と映画]

『家族八景』は 火田七瀬がテレパスとして自覚を持つまでの
噺として 『七瀬ふたたび』の冒頭にあっても良いかもしれないが
まぁ 『七瀬ふたたび』がメインだろう。
『エディプスの恋人』は 実写向きではないと思う。
実写だと 3Dとかにしたくなるのだが あの宇宙論は 
やはり アニメ向きかも知れない。 宮崎駿さんが引退された今
大友克洋さんのグループが 挑戦されるべきなんじゃないかしらね。

それで 『七瀬ふたたび』の実写版にせよ『エディプスの恋人』の
アニメ版の声優にせよ 石橋杏奈さんが 適役だと思う。
英語のラップを 意味が分らなくても歌えるという耳の良さも
実は テレパス保有者を演じる上では 妙に 適合するはずだ。
NHKの『LIFE』というコント番組に彼女は出ている。
見た目の容姿的に 火田七瀬にかなり近いと私は思う。
『花子とアン』に出演している(醍醐さん役)の高梨臨さんも
七瀬的ではあるけれど 彼女は キアロスタミ監督作品に出ている時と
醍醐さん役だと かなり 演技が違うので 監督の力量に相当左右されてしまう
タイプなのかもしれない。まぁ 現存する映画監督で最も
高い力量を示すキアロスタミだからね・・・。

一方 石橋杏奈さんは アホらしいコントでも
たとえば 一本眉のウッカリ暴走娘を演じても 駄洒落美女を演じても
軸がブレない。 ホークスのコメディ定義~人は他人の真面目すぎて
仕出かす失態に笑って共感する~にきちんと適合している。
無論 彼女がそんな定義をご存知だとかそうでないかは問題ではなく
女優の資質としてコメディもできるということは 悲劇のヒロインも
こなせるのは 古くはキャサリン・ヘップバーンで 最近では
干物女と新島八重や橘咲も演じられる綾瀬はるかさんで我々がよく知るところである。
じゃあ 綾瀬はるかさんが演じるべきかとも言えるが 大女優だから・・・。 
ところで  万能鑑定師・Qは シナリオがバタバタしていて映画としては 不出来。
ホリプロももう少し シナリオで出演判断した方が良いと思うけど。
綾瀬はるかさんは もう大女優なのだから。 

 七瀬は 得体の知れない美女でありスペックホルダーとしての
矜持を背筋に一本 ピンと入れているハードボイルドハートの女ですから
このキャスティングで 全ては決まる。
昔 家族八景のドラマ化で 中山千夏さんが七瀬だったのだが
不気味なホームドラマという印象ばかり残って 困った。
無論彼女は 名優なので 七瀬になりきっていたので説得力はあったと
子供の時の記憶だけれど ある。他の時に観る中山千夏ではなかった。
そして彼女は七瀬を演じ 『あなたの心に』なんて歌を出して
やがて 政治家になるだろう。 
火田七瀬という役は 演じる方にも覚悟が要るかもしれない。

悪夢ちゃんで 共通無意識かぁ [小説と映画]

悪夢ちゃんというドラマで 共通無意識が出てきましたねぇ・・・子供向けの感が否めなかったけれど どっこい なかなか ハイレベルといいましょうか。

この共通無意識というのが 大切なんです。ここへのプリセッションができるかどうか それが 小説なり映画なりの存在意義です。プリセッションは地球の歳差運動とも翻訳できますが 此処では リップル=水滴が水面に直角に落ちると 波紋が広がります。あれです。共通無意識領域にどう波紋状に何かを伝えるかです。

勿論 顕在意識に何を残すかが問題になりますけれどね!R.バックミンスター.フラー博士が 『自分は人工物で人々の意識を変えるのであって 何かを伝導したり宣伝したりはしない』と仰るのに対して 私が アブノックス作業でどう行うかのPathが 今夜 明確な光として私の目の前に射し込んだ感覚であるということです。

そして 北川景子さんが 思いっ切り耳が見えるまで髪をアップにしている横顔を眺めていたら 私が24歳か25歳で書いた村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』のシナリオで撮ったような映画フィルムが私の脳内でカラカラと廻りました。

そうか・・・彼女で耳女こと私のシナリオでは【イヤリン】は撮れる! でした。      スイマセン 法螺噺です。でも もしも万が一私のシナリオで私が『羊をめぐる冒険』を撮るとしたら 必ず出演依頼をするでしょう(笑) ただ困ったことにそのシナリオ自体は私の手元に残っておりません。村上春樹さんのお手元にも残っていないでしょうから・・・・困った。うっすら覚えているだけなんだなこれが・・・・。もう30年前の手書きのシナリオです。冒頭だけは明確の覚えている。あとは 羊に出てこない双子ストーリィを混ぜた記憶があるのだった。 まぁいいか。 その時になったらなんとかなるだろうさ。人生とはそういうものだ。 

ところで 昨夜テレ東で恒例の『やりすぎコージ都市伝説』やってましたね。相変わらず面白い。ビルゲイツが本気でこの番組に噛みついたというから本物ですね。そしてフリーメイソンが フラー博士が指摘していた海賊の成れの果て?ではあるもののイルミナティではないのがよくわかりました。番組ではそんな指摘は一切していませんでしたけれどね。イルミナティなる目に見えない権力構造組織に対抗する組織が  フリーメイソンってことになる。フラーは海賊を追い詰めていったのは東インド会社だと遠回しに記述しています。『パイレーツオブカビリアン』でも海獣よりも恐ろしい存在として東インド会社連中を描いていましたね。ハリウッド的はリップル というよりも  『メンインブラック』のようなハリウッド的リークでしょうか?

2013年そろそろ彼らが日本のテレビ局で堂々と中南米組織なら撮影許可したのも頷けます。そしてその中南米組織のトップが胸に飾っていたのがアーモンドアイ型のグレイスキン、異星人(のロボットですけど・・・あれは)のブローチでした。

ちょっと思いっ切り横ずれしますが 8か月ぶりの平均株価1万円代復帰を今度の総理大臣の殊勲のようにマスコミ報道していますけれど  だったら野田総理の時 1ドル79円代の時に平均株価1万円代だった増税法案可決に猛進してた時をどう評価するんですかね? どう評価していましたっけ? 3年前の政権交代時 私だってあの事業仕分けってのに相当期待してましたけど・・・おそらく同じことになるんではなかろうかという実に厭な予感がしておりますですよ。  どうなることやら。


手短に 呟く程度に(ボルヘスとマルケスについて) [小説と映画]

ボルヘスは 詩である。 『バベルの図書館』にしろ あの反・世界『トレーン』にしろ 数学・・・きわめて 幾何学的なイメージを読者に煌めかす。

マルケスは 映画にできない映画を小説にする。『落葉』は『羅生門』     さて・・・『百年の孤独』は なんだろう。シュトロハイムの長大な映画の題名を失念してしまったが なんだか あのイメージが浮かんでくる。     それとも グリフィスの『イントレランス(不寛容)』なのか?ビスコンティの 『夏の嵐』を映画欄を担当するためにヨーロッパに派遣されていた新聞記者だったマルケスが 映画を撮りたくて撮りたくてしょうがないけど 映画を撮るわけにいかなくて 書いた小説であろう『百年の孤独』。

但し 漱石の『門』のような映画は誰も撮れないだろうし フローベルの   『ボヴァリー夫人』のような映画は 溝口健二が撮ってしまったけれど。   グリフィスの『散りゆく花』は 明らかに チェホフの『オーレンカ、かわいい女』のような映画を撮ろうとして撮った映画だと 私のような似非映画批評家は 定義するだろう。 

ボルヘスに憬れはしない。 私は ヴォネガットに憬れている。ただ 吉行淳之介が 幾何学的な抽象画のくせに 心和ますパウル・クレーを愛し クレーのような小説を書きたいと願い続けた事実に ただ 共鳴していたと思うから タルコフスキーの『鏡』のような映画、 小説が肉体をまとい 夜の 静寂に夢見をし それを感受してしまったかのような小説を 書けたりしたらば 奇蹟を顕してしまったと 思うだろうな・・・。 

まぁ それは 私の仕事ではあるまい。 


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